お天神さん

故郷信州では正月にお天神さんを飾る。お天神さんというのは基本的には、長男の誕生に母方の実家から贈られる、菅原道真が描かれた掛け軸である。弟が生まれたとき、母の実家だけではなく母の兄弟姉妹からも贈られ、計五本あった。

おまけに長女の姉にも、実家から女の子用の紫式部のお天神さんが贈られていたから、全部で六本。大きさはいろいろあるらしいが、我が家にあったものは畳一枚くらいで、八畳の部屋の壁いっぱいに飾られた。

小学生の頃私はよく風邪をひいて、お天神さんに囲まれて寝ていた。お天神さんは菅原道真という学問の神様で、子どもが生まれたときに、元気で賢くなるようにと願って、贈られるのだそうだ。

みんな同じような黒っぽい着物(衣冠束帯というらしい)で座っている。はるか彼方を見ていて、視線が合わない。面白くない絵である。紫の袴をはいた紫式部だって全然美人じゃない。私のお天神さんはいない。賢く健やかに育つようにと誰もお祝いしてくれなかったわけ? いいよ、こんなお天神さんいなくたって! とも思う。

いつだったか母に言われた。

「弟はA高校に一桁の順位で合格だし、姉ちゃんだってB高校に二十三番で入ったのに、お前の成績はなあ」

「そんなんどうだっていいでしょ!」

思わず、そう言い返したけれど、あとで「私にはお天神さんがいなかったもの」と答えればよかったと思ったのである。その方がしゃれている気がした。

以来お天神さんを便利に使った。ぶきっちょで裁縫がうまくできなくても、お花を習い始めてすぐやめても、「うーん、お天神さんがいなかったからね」

姉ちゃんは呉服屋から頼まれるほど裁縫の腕がいいし、お花は師範だし。二番目の娘はなんとできの悪いことか。母は理由にならない言い訳に呆れてか、もう何も言わなかった。

古希間近になってみると、お天神さんがとても懐かしい。 

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『午後の揺り椅子』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。