「こういう人になりたいって思える人、周りにいる?」という質問に対して…

そもそも何が聞きたいのかよくわかりません。部内の誰か特定の人を指して、その人の美談でも伝えればいいのでしょうか。伝えたところで何の意味があるのでしょうか。「周り」と言われても漠然とし過ぎていて、上司の知っている部内の人間なのか、上司の知らない銀行内の人でよいのか、さっぱりわかりません。

「何をわけわかんねーこと聞いてくるんだ。誰々って答えたからって、その人になれるわけでもねーし。大体そんな奴いねーよ。お前も含めてアホ面した奴ばっかりじゃん」

聞かれて考えているうちに段々腹が立ってきたのですが、「いません!」と断言するのも上司が求める回答ではないかと思い、一~二秒以内に「この先輩すげー!」と思った人を探し、記憶を振り返ったのでした。

すると、印象に残った数少ない先輩が思い出されたのです。私がある部署から離任する時、「昼飯でも一緒に食いにいかない?」と誘ってくれた先輩でした。連れていってくれたお店は蕎麦屋。私が何を食べようか選ぼうとすると、「あー、ごめん、選ばないで。お前に食べてもらいたい蕎麦があるから」というのです。

「へー、なんか強引だけど美味いって言わせる自信でもあるのかな?」

そう思っていると先輩が注文したのは「冷やしたぬき」でした。その店の看板商品で、周りの客も殆ど冷やしたぬきを注文していました。食べてみると確かにおいしいのです。普通のたぬき蕎麦と違って、玉ねぎがのっていてシャキシャキと歯ごたえがいいのです。食べ終わってから先輩が私の分も含めて会計を済ませ、こう言いました。

「オレ今、この店の普及活動してるんだ。美味かったらお前も広めてね」

私はその時先輩を「かっけー!」と思ったのでした。四十近いオジサンとなり、蕎麦屋に常連として通うことに憧れていたからです。真っ昼間から日本酒とおつまみを頼み、締めに蕎麦を食べることがしてみたかったのです。先輩はその夢に近づくきっかけを与えてくれました。男二人で蕎麦をずーずー啜った時を思い出しながら上司に言いました。

「いますよ、蕎麦の食べ方が粋な人がいるんです」

上司が「はあ? そんなこと聞きたいんじゃないんだけど」と言うのですが、もう手遅れ。こうして私は上司の心情を察することができない、ダメな社員となるのです。