2006年

『谷間の百合』

橋のかなたには、鳩(はと)小屋や小塔のある二、三のりっぱな農家が点在し、立ち並んだ三十軒ほどの粗末な家は、庭にかこまれ、すいかずら、ジャスミン、クレマティスなどの垣根(かきね)で仕切られて、戸口ごとに積まれた堆肥(たいひ)には草花がみごとな花を咲かせています。道ばたでは、めんどりやおんどりが遊んでいます。

この美しい村がポン=ド=リュアンで、画家が題材として追い求めるような、特徴ある十字軍時代の教会が、その上に高くそびえています。この光景を、樹齢を経たくるみの木や、淡く金色に光る葉を茂らせたポプラの若木でかこみ、目のとどくかぎり暑さにかすむ空の下でひろがる草原に、美しい橋や塔や廃屋などをそえてください。そうすれば、この美しい地方のここかしこにひらける眺望が、いくぶんなりとあなたにもおわかりいただけるでしょう。私は対岸につづく、うねうねとした丘のこまかな変化に目を向けながら、川の岸にそって、サッシェへの道をつづけました。

(中略)

しばしば私の目は、はるかかなたで金の刃物のごとく輝いているロワール河にひきつけられました。不思議な形の帆をあげた船が、逆さか波なみをけたて、とぶように風に運ばれていくのがのぞまれます。私は丘にのぼりながら、はじめて見るアゼーの城のすばらしさにも見とれました。それはまさに花の支柱に支えられ、アンドル川にはめこまれた、切り子のダイヤモンドです。そして目を移せばかなたには、サッシェの館がロマンチックな姿を見せています。(バルザック『谷間の百合』石井晴一訳)

これはバルザックの『谷間の百合』で描かれたロワール川とアンドル川にはさまれたトゥール近郊の風景である。この“切り子のダイヤモンド”と描写された風景を見てみようと六月二日の昇天祭の祝日、朝早く起きて出かけてみた。レンヌからトゥールまでは二百五十キロ、高速を使っても三時間以上かかる。

『谷間の百合』では主人公フェリックスがトゥールから歩いてサッシェという村まで行くのだが、私は車だ。

最初にポン=ド=リュアン村を訪れた。村の案内板にはLe Lys Dans La Vallée(谷間の百合)とあり、小説に描写された風景を巡るサイクリングコースが示されている。だが「画家が題材として追い求めるような、特徴ある十字軍時代の教会が、その上に高くそびえています。」とバルザックが書いた教会は見当たらなかった。この道路の奥に教会があったが、高くそびえたってはいない。

「樹齢を経たくるみの木や、淡く金色に光る葉を茂らせたポプラの若木でかこみ、目のとどくかぎり暑さにかすむ空の下でひろがる草原に、美しい橋や塔や廃屋などをそえてください。」の描写に該当するものとして、村の入り口にはポプラの並木道があった。車は交互通行でなければ通れない狭い道で、バルザックはここを歩いたのかと思わせられた。

でも橋は格別美しいものではない。

まあ、総じてポン=ド=リュアン村にはこれといった見所はない。翌日三日の金曜日に仕事を休んで四連休にするフランス人が多いので、多くの観光客が来ているのかと思いきや、訪れていたのは一組の釣りをする家族だけで、さもありなんと思われた。がっかり。

次に訪れたのはサッシェ。バルザックという名前のバーがある。

ここにはバルザック記念館がある。サッシェの城とあるからここが「サッシェの館」?

中にはバルザックゆかりの品々が展示されていたが、「サッシェの館がロマンチックな姿を見せています。」という館とは少し違うような……。

サッシェへの街道沿いには「戸口ごとに積まれた堆肥には草花がみごとな花を咲かせています。」という描写どおりの風景が広がっていた。でもここも訪れる人はわずか。

バランのずっと先で、シノン街道に出るこの道は、アルタンヌという小さな村のあたりまで、さして起伏もないなだらかな平野にそってそのままつづく。そこからは「ロワール河におわる谷間がさっとひらけ、館をのせた両側の丘のあいだにその起伏する姿をあらわします。この谷間の眺めはまさにみごとなエメラルドの杯そのもので、その底をアンドル川がゆったりと身をくねらせて流れています。」とバルザックは描いているが、残念ながらそのような景色は見当たらなかった。

最後は、

「私は丘にのぼりながら、はじめて見るアゼーの城のすばらしさにも見とれました。それはまさに花の支柱に支えられ、アンドル川にはめこまれた、切り子のダイヤモンドです。」

と描かれたアゼー=ル=リドー。ここの城は確かに素晴らしい。

車を駐める場所を探すのに苦労するほど観光客で賑わっていた。でも目当てはバルザックではなく、お城見学であろう。その優美なアゼーの城だが、城というより館という感じで、ロワール川沿いの他の有名なシャンボール城、シュノンソー城、アンボワーズ城と比べると小ぶりなのは否めない。

というわけで今回の『谷間の百合』探求の旅は往復で五百キロ以上走って疲れた割には残念な結果であった。アンドル川とロワール川にはさまれて広がる美しい「エメラルドの杯そのもの」という風景を見られる丘にはついぞめぐりあうことはできなかった。

バルザックが描いた十九世紀前半からの時代の変化が美しい風景を変えてしまったのだろうか、それとも『谷間の百合』の風景は実在するのではなくバルザックが想像で描いたものなのだろうか。

フランス人のバカンス

七月、いよいよバカンスの季節である。フランスでは一年間勤務すると五週間の有給休暇が与えられ、五月一日から十月三十一日の間にそのうちの四週間が与えられる。その際少なくとも二週間は連続して与えられなければならないと法律で決まっている。病気などはこの有給休暇を使わずに欠勤となるが、給与は社会保険で保障される。従って有給休暇といっても日本とは大分意味づけが異なり、管理職も含め、まず一〇〇%消化するようだ。要は保養のための休暇なのである。

私の会社も今年(二〇〇六年)は七月二十九日から八月二十日まで三週間休みである。他の一週間はクリスマス時に一斉休暇、残りの一週間は各自好きなときに取得する。待ちに待ったバカンスなので、きのうの終業時は皆うれしそうで、ボン・バカンス(よい休日を)と言い交わしながら家路に向かって行った。

ではフランス人はどのようにバカンスを過ごすのだろうか。何人かに聞いてみた。

総務のブルーノ:週に三日は自宅から三十分かけて自転車通勤してくる。それもツールドフランスに出場するような本格的な格好で……。彼はフランス中部のリモージュに近い山岳地帯に家族で出かけると言う。休火山で景色が素晴らしいとのことである。

人事のナタリー:背が高くスタイルがよい上に知的な雰囲気が漂う、英語を流暢に話す人事部長秘書。私のフランス着任の手続きでは大変お世話になった。彼女は南フランスのボルドー(ワインで有名)の出身で、ご主人もその近くの出身ということで、家族で実家に行くと言っていた。

経営企画のジャン=フランソワ:ブルターニュの伝統音楽を演奏するのが趣味。会社の行事でその腕前を披露したこともある。楽器はボンバードとかいうクラリネットを小さくしたようなものだが、意外なほど大きな音が出る。肺活量が必要なので、吹き続けられるのは三十秒くらいだと言っていた。彼はドイツに近いアルザス出身で、「いとこの結婚式に出席するため一週間ほど故郷に帰り、あとは戻って自宅の手入れさ」とのこと。

安全衛生のジェローム:口ひげをたくわえた独特な風貌で、若いのか年を取っているのか不明。いつもフィルターのない巻きタバコを吸っている。安全衛生課長なのにそんなタバコを吸って自分の健康は大丈夫かと冗談で聞くと、大丈夫さと言っていた。彼も故郷のフランス側のアルプス、グルノーブル(あのジャン=クロード・キリーで記憶に残る冬季オリンピックの開催地。クロード・ルルーシュ監督、フランシス・レイの音楽が素敵な記録映画もあった)の近くの実家に家族で帰る予定。とってもよいところだと自慢げだった。

経理のカトリーヌ:スラリとしてスタイルのよい、経験豊富な経理の係長。バカンスはどうするのと聞くと、「南フランスのアビニョンの近くで友達と二週間ばかり過ごしたあとリヨンで一週間、七月にもう休んでしまったわ」ということだ。経理は月次決算や支払いがあるので交代で夏休みをとるようだ。

TPM(全員参加の生産保全)推進室のブノア:白い肌、金色の産毛、緑色の目。背はあまり高くないけれど典型的な西洋人という風貌。三歳の女の子の父親。彼も南フランスのDordogne Périgord(ドルドーニュ・ペリゴール地方)というラスコーの洞窟画(歴史で習った)のある地方へ行くと言っていた。三週間もホテルに泊まるのかと聞くと、テント(家族でゆったり過ごせるような大きなテント)を持って行ってキャンプさ、とのことである。

秘書のジュリエット:友達と一週間ベルリンで過ごし、あとはおばあさんのいるブレスト(フランス最西端に近い都市)でゆっくりするとのこと。彼女は日本に四年ほどいたので日本語が堪能。タバコが好きで、ミネギシさん、日本に帰ったらマイルドセブンFKを一カートン買ってきてよ、と頼まれてしまった。フランスはタバコが一箱五ユーロ(七百円)もするそうだ。イギリスはもっと高いという。日本に帰ったら忘れずにタバコを買わないと……。

このように、ここ西フランスのブルターニュ地方に住むフランス人は南フランスに行く人が多いようだ。一方日本人駐在員は単身・独身者は日本へ帰り、家族帯同でこちらに住んでいる人はイギリス、ドイツ、スイス、オランダ、スペイン、イタリア、北欧などヨーロッパ各国を旅行する。それも車で。日本と比べて道路事情がよいので一日千キロも走れるそうだ。

フランスに行けば何かある 

九月になった。夏休みが終わったと思ったら、あっという間に秋が来てしまったという感じだ。街路樹の葉が色づきはじめ、枯葉が風に舞っている。朝晩は寒いくらいで、はやコートを着て歩く人も珍しくはない。今日夏物のクリーニングを出してきた。日に日に夕暮れが早くなって、寂しさを感じるこの頃である。

日本人駐在員数名でパリに日本食買い出しツアーに参加したことは以前書いた。パリのラーメン店で、ラーメン、ぎょうざのセットが十ユーロもしたということも記した。久しぶりに食べるラーメン、ぎょうざが十ユーロの値段など気にならないくらいうまく感じられたのは、ひとえに日常そうした環境を望むべくもない生活をしているからに他ならない。経済原則から言えばそうした需要が供給側の値段を決めていることになるのであろう。

さてラーメンも食べたし、日本食も買い込んだ、という目的を達成した買い出しツアーの夜、日本料理店でこれも久しぶりの刺身を堪能したあと、カラオケにでも行くかという発想は日本人なら自然の流れである。

パリにはカラオケスナックもある。宿泊したのはボードレールホテル。というと日本人の感覚では文学的、フランス的香りを連想するが、値段は高いが薄暗く、設備も古くカビ臭い、オペラ座の近くにある小さなホテルである。そのホテルの近くのカラオケスナックに繰り出したのだった。日本人の女の子が側について酒をつくってくれる。見渡したところ客は日本人しかいない。当然、歌う曲は日本の曲のみ。とてもパリにいるとは思えない光景である。

だがこれも需要があるからという経済原則で、それだけ日本人が多いということだろう。さて側に座って酒をつくってくれている日本人の女性である。女の子と書いたが、おそらく二十代と思われる女性数人がホステスをしている。選曲したカラオケをスタンバイしたり、いっしょに歌ったりの合間に話をしたり。今何をしているの?どうしてフランスに来たの?というごく一般的な会話から始まる。

「武蔵野美大を出て、絵の勉強にフランスに来ています」「私はデザインの学校に通っています」と彼女達は言う。「へえ、えらいね。頑張ってるんだ」と適当にあいづちをうつ。そうしてパリの夜も更けて、十二時を回り、さて引き上げるかと店を出る。

ホテルへの帰り道、でもちょっと待てよ。こんなに夜遅くまでカラオケスナックで働いていて、果たして勉強する時間があるのだろうか。自分のアパートに帰るのはきっと午前二時か三時で、それで昼間学校に行けるのだろうかと酔った頭で考えてしまう。

フランス日通の日本人駐在員に聞いた話では、フランスに勉強に来る日本人で圧倒的に多いのは、ファッション、デザイン、製菓、料理、ワイン、フラワーアレンジメントなどのフランスが本場とされる文化を学ぶ人々だそうである。そして必ずしも当初の志を遂げることができない人が多いということだ。志を遂げられなかった彼ら、彼女らは失意のうちに日本に帰るか、はたまたパリの夜に沈潜するしかないのではないだろうか。

フランスは給与の格差がとても大きい。会社の中でも管理職と製造現場の労働者の格差は日本以上にある。日本と同様、サービス業の賃金水準は低いことから、彼女達が高い給与をもらっているとは思えない。

そうした彼女達が一度浸かったパリのネオン街を抜け出すのはそれなりの努力を要するのではないかと思われる。日本に帰ろうとしても、志を遂げずに帰る日本の敷居はきっと高いに違いない。経済的にもパリのアパートの高い家賃を払ったうえ、日本へ帰る航空券を買うだけの貯金をするのはそう簡単ではないと思われる。志半ばでおめおめ日本に帰れないと思っているうち、いつしか歳月が過ぎ、ネオンの海に飲み込まれてしまっている、のではないだろうか。あくまで想像だが。

フランスに留学する日本人、特に女性は年々増えていると聞く。だが「フランスに行けば何かある」「本場で修業して箔をつけて日本に帰りたい」ということだけでは多くが脱落の憂き目にあうのではないだろうか。

※本記事は、2018年10月刊行の書籍『ブルターニュ残照』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。