母の叔父は広島で呉服卸商

千代の実父の弟の二木真蔵は、神戸で呉服商を営む近江商人の一人だったが、広島に移って、市内の本通りの近くで『丸長』という呉服の卸商を営んでいた。真蔵の妻のスミは元芸者だったそうで、色白で細面の美人だったが、子宝には恵まれなかった。そんなわけで、Mの母の千代が広島の真蔵叔父のところにもらわれてきたのだった。

そこで丁稚奉公から叩き上げで番頭になっていた山田義郎と数年後に結ばれたのだ。Mは次男で四歳年上の兄(真一)と三歳年下の妹(美代)がいた。父は三十歳を過ぎていたし、近眼だったので丙種とされ兵役は免れたそうだ。

真蔵夫婦に可愛がられた兄弟

幼い頃のMは休日には真蔵の広い庭のある邸宅へ兄の真一に連れられて、よく遊びに行ったものだ。子供がキャッチ・ボールやボール蹴りをするくらいの芝生のスペースはあったが、その頃はグローブもボールもなく兄貴の真一相手に空き缶を蹴って遊んだ思い出がある。

第二次世界大戦の最中で食料品が欠乏していたが、真蔵の家では得意先などから手に入るのか、食べ物には、それほど不自由はしていなかった。真蔵の家の庭には柿や枇杷の木もあったし、庭の片隅にある畑ではトマトや大根などの野菜も植えられていた。

真蔵は、酒はあまり飲まなかったが、ほうれん草のおひたしに、いりこ(煮干し)を混ぜて食べるのが好きで、大きくて頑丈そうな体格をしていた。Mは真蔵の家に行けば庭の芝生を駆け回ったり、木に登ったりして遊べるし、我が家では食べられない甘いお菓子や果物も食べさせてもらえた。

スミと一緒に大きな風呂に入り、石鹼をつけて洗ってもらったりして、本当の孫以上に、とても可愛がられた。兄の真一は腕白坊主のMとは逆で、おっとりとした優しい性格だった。兄弟喧嘩をしたこともなく、Mは真一にいじめられた記憶は一度もない。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『ピカ・ドン(原爆落下)とマリリン・モンローを見た少年M』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。