そんなわけで、第一章では、「なぜ本を読むのか?」について考えてきましたが、「読むことに考えも何もないだろう」と感じた人も多いのではないかと推測します。確かに、新聞や雑誌や漫画などを読む際に、いちいち難しいことを想像していてはくたびれます。小説だって、「何かを考えながら読んでいては、純粋に楽しめない」という意見も、わからなくはありません。“楽しむことが読書の醍醐味”という結論に、100%同意します。

ですが、けっこう時間をかけて読了し、そこそこ楽しめた本だったにもかかわらず、数日たったらきれいさっぱり記憶から抜けていたという読書をされていたら、それはちょっともったいないと思うのです。もちろん、「面白い本だったら自ずと記憶に残るし、本なんてものはそのとき楽しめればいいではないか」という意見や、「嫌なことを考えないで済むから読書をしているのだ」という批判も、まだまだあるでしょう。

でももし、少しでも書くことに興味があるのでしたら、読み方を変えるだけで格段に執筆能力が備わることを知っていただきたいのです。「どうせ読むなら、そんな意識を持って読んでもいいのではないか」と言いたいのです。結果として何も書かなかったとしても、それはそれで構いません。

……ですが、先のことはわかりません。もしかすると私のように、エッセイのひとつでも書いてみようという気になるかもしれません。書くことを前提とした読み方をしていると、そんなときに必ず役立ちます。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『非読書家のための読書論』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。