平山郁夫画伯の原爆目撃証言

Mは後日、原爆落下の状況を目撃した人の記述があることに気がついた。

著名な日本画壇の巨匠・平山郁夫画伯の著書、『生かされて、生きる』のなかで

「……やがて、三機のB29から三つの白い落下傘がなにやら黒い物体をぶら下げて、右に左にゆらゆらと揺れながら落ちてきた。……」

と記されているし、『群青の海へ』では

「……三つの白い落下傘が、つぎつぎと空に浮かびました。それぞれ黒い物体をぶら下げているようです。B29が落としたものに違いありません。三つの落下傘はゆっくり、ゆっくり下降してきました。……」

と、原爆落下の目撃体験が述べられている。

平山画伯は広島県豊田郡瀬戸田町出身の修道中学三年生(十五歳)で、原爆投下時には広島市内にあった陸軍兵器補給廠へ学徒動員の一員として駆り出されていた。まことに幸運だったのだ。

落下傘を見て、すぐに小屋に飛び込んだので原爆の閃光を避けられた。ピカ・ドンを、まともに食らっていたら、あの世界的な名画の数々は生まれていなかったのだ。

原爆とマリリン・モンロー

Mは、俺だけではない、平山画伯の他にも、まだ原爆落下を目撃している人がいるはずだと思う。しかし、マリリン・モンローの実物を直に見たという人の記事も報道も知らなかった。その後、しばらくして指圧師の浪越徳治郎さんは、帝国ホテルでマリリン・モンローが胃痙攣を起こして体調を崩した際に頼まれ、素手で触って指圧した唯一の日本人だという話は有名になったが……。

だが、ピカ・ドン(原爆落下)の光景とマリリン・モンローの実物の両方を見たという人がいるということは耳にしたことはない。

Mは何としても今も自身の網膜に焼き付いている原爆とマリリン・モンローのことを夢や幻ではなく希有な現実体験として理解してもらい、興味を示してもらいたいものだと、ずっと思ってきた。

最近ではその話題に触れると、……やっぱり、こいつ認知症にでもなったのではないかえ? と、疑いの目を向けられそうだ。

何としても生きているうちに駄法螺吹きのイメージだけは払拭したいし、ささやかな名誉だけは挽回しておきたいと思うようになった。

そうするには、もうすっかり遠い昔のことになってしまったが、まず、自らの生い立ちや、その頃の自らの身の回りの状況を記憶にある限り、こと細かに、つぶさに知らしめることが、先決ではなかろうかと、かねがね考えるようになったのだ。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『ピカ・ドン(原爆落下)とマリリン・モンローを見た少年M』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。