林太郎は、麻衣を見て少し笑ったようだ。麻衣はむっとなった。林太郎を見ると、林太郎は麻衣を大切なものを扱うように歩いている。

「わたし忙しいのですけど……」

林太郎は、ゆっくりと麻衣を見た。

「そうですか?」

林太郎は、さっと麻衣の手を取った。つつつーと傍の家の裏に逃げる。裏は狭くて、古い板の香りがしている。

「何……?」

麻衣は逃げ込んで、林太郎を見た。林太郎は、難しい顔で、向こうを見ている。麻衣も向こうを見た。そこには魚屋が魚を売っていた。周りに近所の女たちが数人取り巻いている。

「どうしたの?」

「いや、あの魚屋は、匕首あいくちを持っている」

「えっ……」

林太郎は、よくそこまで、見たものだ。「見えたの?」林太郎はわずかに頷いた。そしてその裏の道を通って反対側の路地に出た。

「麻衣さんを狙っていたようだ」

「そう……」

麻衣は狙われるようなへまはしない。けれど、林太郎が言うのだから、本当だろう。

「一目見たところ魚屋だが、本当の仕事は何だろう?」

林太郎は低く言った。そしてまたぶらぶら歩いて行くのだ。

しばらく歩くと、蕎麦屋があった。小さいけれど、小粋な感じがする蕎麦屋だ。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『紅葵』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。