16時27分の帰りの列車が動き出した。なぜかここと反対側のミュンヘン北部にある下水道の歴史が頭に浮かんできた。ペッテンコーファーの存命中の頃は日本と同じように、ドイツも農業を重んじていた。

下水は殆ど灌漑用または直接下肥えとして処理していた。ここでミュンヘンの衛生学者は奇想天外な処理法を思いついた。一次処理の沈澱槽と消化槽を経た放流下水を養魚池に入れ、そこで二次処理としてコイを飼おうという案である。

1930年に養魚池は完成し、そこから丸々としたドイツゴイが養殖されるようになったのである。もちろんコイは引き上げられた後しばらく真水で飼育してから売り出された。世界でここにしかない施設に関するドイツ人の実利的な知恵の話である。

ミュンヘン行き列車の窓から数回にわたり、若い娘さんが一人で鋤で畠を耕しているのを見た。ドイツ女性は他の国々に増して働き者である。彼女らが古来の農業を支えている。ドイツの女性について雨宮紫苑さんの説では、社会進出が進んだ彼女らは、社会で活躍するに従って自信が増して、声が低く(220ヘルツくらいに)なり、落ち着き(メルケルが典型)、男性が聴いても落ち着いていて心地よい。

それに比べて日本人女性の声は400ヘルツくらいで甲高く、自分を弱く、可愛く見せている(個人差があるが)。今後の日本人女性はもっと声を低くし、自分の意見を堂々と話すべきだろう(『日本人とドイツ人―比べてみたらどっちもどっち―』新潮新書)。

窓外に次々と大小の湖が展開してきて、誠に良い眺めである。どこもヨットがいっぱいで、水上スポーツの実力を感じさせる。左窓のシュリッフェル湖も美しかったが、一番大きいのが、右窓に見えた例のルートヴィヒ二世ゆかりのシュタルンベルク湖である。翌日は家内の希望で、この若き王が残した王宮を訪れる。