脳卒中という病気を考える

結核から脳卒中へ

我が国の主要死因には、三つの山があります。

それは、全結核、脳血管疾患、悪性新生物です。私が大学を卒業した一九五三(昭和二八)年には、全結核が猛威を振るっていました。

結核というのは、肺だけでなく、腸管、腎、脊椎など、体内いたるところに病巣をつくり難治でした。石川啄木、正岡子規、宮沢賢治、堀辰雄など、有為な文筆家が皆、結核でこの世を去りました。

この難病には、打つ手がなかったのです。そのため、人工気胸、気腹、肋骨を何本も切除する胸郭成形術など、今から見ると侵襲の大きい処置がとられていました。

すべての小中学生にツベルクリン検査が施行され、それが陽性になると一年休学にさせられました。BCGなどの接種も盛んに行われました。ところがストレプトマイシンが出ると、多くの病巣がきれいに治ってしまったのです。劇的な変化でした。

こうして全結核は、我が国では、ストマイが出て四年にして死因の表舞台から姿を消しました。ついで死因の首位を占めたのが脳血管疾患でした。

それは一九五一年から一九八〇年まで、三十年もの間続いたのです。日本はまさに脳卒中王国でした。

アメリカは心臓病が長い間死因の首位となっていました。彼らは終戦後、日本の脳卒中の高い頻度を見て、日本の死亡診断は当てにならないと言いました。

彼らは臨床疫学の本のなかで「ジャパン・ストーリー」という一章を設け、その死亡診断書に疑義を持ったのです。WHOの規定する脳血管疾患ではくわしいことは分かりません。

くも膜下出血を除けば、脳卒中は脳出血と脳梗塞に大別されます。両者の鑑別は、現在ではCT(コンピューター断層撮影)やMRI(磁気共鳴画像)などによって簡単に実施できます。

こうした画像診断のない時代、臨床的に両者を鑑別するのは困難でした。我が国の脳卒中のなかにどのくらいの比率で出血と梗塞が分けられるかが問題となっていたのです。

ただ昔は脳卒中といえば、意識障害が強く昏睡があれば一週間以内に亡くなるものが少なくありませんでした。

それは脳出血に高率に見られました。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『健康長寿の道を歩んで』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。