さて、以下のエネルギー生産性の国別推移では、確かにわが国は1995年レベルでは、世界でトップクラスのエネルギー生産性を誇っていました。

1995年というと、私がちょうどESCO事業の創業準備を始めた頃ですので、当時として日本は本当に高いエネルギー生産性を保持した「絞り切った雑巾」状態であり、「ESCOとして省エネルギー・エネルギー効率化をビジネスにするのは難しいよ」という周りのコメントも当たらずも遠からずというところでした。

もちろん、この図は国全体のマクロ経済的に見たエネルギー生産性であり、個別企業においてはオイルショックをどう迎えたかによってかなり違いが出ていることはすでに述べましたが。

ここで図表8のグラフにある1995年から2015年の20年間という時間は、日本企業がエネルギー生産性の向上にうまく対応しきれなかった状態を示しておりますが、さらに炭素生産性となると低迷傾向は顕著になります。

その間、欧州の環境対応先進国のほとんどに追い抜かれてしまい、なんとあの米国にすら迫られています。

このエネルギーおよび炭素生産性を伸ばすためには、分子の売上・利益・付加価値を増やしつつ、同時に分母であるエネルギー消費量、炭素排出量を増やさないか、あるいは減らすことです。

エネルギー消費原単位のところで説明したように、この20年間では省エネルギー・エネルギー効率化は停滞していたので、日本企業は結果として分子である売上・利益・付加価値を増大させること、つまり企業としての成長ができなかったということになります。

この厳然たる結果は、あくまで国全体のマクロ経済的な傾向であるとはいえ、「世界最高水準の排出削減技術を持ち、オイルショック以来の努力で乾いた雑巾であり、だからこそ排出削減の限界費用が世界最高である」と豪語していた日本が、なぜこうした状況に陥ってしまったのでしょうか。

以上のことは、一つの切り口からのデータ分析結果であり、さまざまな専門家からの突っ込みは承知の上ですが、この失われた20年間の結果について、特に今後、脱炭素化、カーボンニュートラル達成を本気で進めたい企業経営者は、まずは真摯に受け止めるべきではないでしょうか。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『データドリブン脱炭素経営』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。