親しくなるにつれ、恭子は待ち合わせの場所へ時々子供を連れてくることがあった。すると、いわゆる「こぶつき」の形で来栖とのんびりくつろぎ、何時間も過ごしたがる。

普段は物言いでも、態度ふるまいでも普通の主婦然としているのだが、時間のゆとりと気持ちの昂ぶりがうまく合った時といえるのだろうか、「快楽を貪るのに貪欲である」という言葉がそのまま恭子に当てはまるような印象を来栖のほうが持つこともあった。

この場合には恭子は一つの定まった行動をなぞらえるように、まず彼ととりとめがないものの互いに和む会話を交える。

そして彼女は彼の体で、十分に肉体的快楽を満喫したことを物腰で見せ、いつものように夫の元へ帰っていく。

人の集まりの中にいると、他人の目を意識してか、清楚で品の良い身ごなしに終始する。しかし自分の虜にしてしまったと考える男と二人きりになると、肉体の快楽を味わい尽くさないではおれない性向を見せる女性がいる。

もちろん来栖は数えられる程度の数少ない女性とつき合ってきただけで、本当に親密な関係にまで達した相手は数人にすぎないので断じることはできない。だが来栖は恭子がこのタイプに当てはまるのではと勝手に思い込んでいた。

来栖を求める時ははっきりと彼女自身が意思表示をし、性交為そのものでも快楽を得たいとの欲求では積極的だった。

彼自身も政経塾での課題で、政策立案が満足できるほどにまとまり、将来に展望が見えてきたと思えた時など、精神的にも肉体的にも気持ちが高揚しているなと我ながら自覚する時がある。そのような時に女性と出会うと相手の姿を見ただけで強く性的欲求を持ってしまうことが起こった。

これは男の精神的高揚期には性的ポテンシャルも高まるということで説明はつくが、女の恭子の場合は少し違っているようにも思えた。

彼女は性交という行為そのものに大いに情熱を傾け一心に打ち込めるというタイプのようだった。彼は初めて彼女とそのような関係になった時のことを今でも思い出す。相手が要求しない限り初めは何もつけないで相手と性交し、もう射精したいというような気持ちになったところでゴムを使うようにしていたのだが、恭子の場合は違った。

途中で一度来栖が体を離そうとすると恭子は体を離させまいと片手を彼の臀部にあてがい、大胆にもさらにより強く彼の体を密着させるようにしてきた。ピルなど何か他の手段で避妊の工夫をしているのかと思い、彼はそのまま性交を続けた。

その後も彼女との交渉では同じ局面で同じ行為をする彼女を目のあたりにして、彼のほうは肉体的な交わりとなると彼女が貪欲なまでに体の合一をはかり、快楽をできるだけ長く感じ取りたいとの欲望を直截に表現するタイプだと受けとめた。

彼女が人妻でありながら来栖との肉体的交わりで妊娠することもあり得るということで、それを防ぐような工夫を何もしていないということを知ったのは、親密な関係になってからおよそ半年ぐらい経ってからだった。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『ミレニアムの黄昏』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。