今となっては、京子との日々を記録しながら、自分の手にしっかりと残し、これからの私に何が出来るのか、少しでも希望が持てるようにしていかなければならない。それぐらいしか、頭に浮かんでこなかった。

今の京子の状態で、互いに何に心を震わせ、何を幸せと感じ取ることができるのだろうか。それによって私が何をすればよいのか、自ずと決まってくるように思えた。

この病院に入院してから私がしていることと言えば、毎日、四、五時間ほどの付き添いだけである。その中でテレビを点けたり、体位の変換やねじれた身体の補正をして痛みを和らげたり、ときには口からの嗜好品の食、それもスプーンに四、五杯程度のわずかな量を食べさせることだけであった。

どれも心を震わせるほどの京子の幸せに貢献しているとは思えない。

それならば、病気になるまでの間、京子と私は何をしてきたのか考えてみる。茶道にまつわる武将の歴史のノンフィクション風な逸話を読み、その地を二人でよく訪れていた。

これから足を運ぶ先の歴史を、車を運転している私に、京子は要約して読んで聞かせてくれた。ときには旅行の数日前から、その地にまつわる武将の短編小説を図書館で借りてきて、私自身が仕事の合間を縫うようにして、京子に勧められるまま、夜中に仕方なく読んだこともあった。

ある旅先での出来事を思い出した。目的地とは別に、道を訊ねた老人から近頃の話のように聞かされて、案内された場所に京子と二人で立ち寄ったことがある。

昼夜、馬を走らせ、援軍を請いに来た武士がいた。要請を受けた城主は、もはや落城寸前との情報を得ており、援軍の話を断ったという。

しかし、疲れ果てているにもかかわらず、すぐにでも帰ろうとする愚直さが欲しくなり、城主は、武士を引き留めた。だが武士はそれを丁重に断り、帰路を急いだという。忠誠心の気力だけで馬にしがみついていたはずの武士が、この村の畑でいきなり降り立ち、切腹して果てたという。切腹した後、直ぐに近くの山頂で砂埃が舞い上がり、馬が空を駆けて消えたといういう話であった。