第2章 AI

第2項 属性

2 経験値

私の人工知能に対する見方が劇的に変わり、人工知能の考察に警戒感と怖れを帯びたのは、深夜のマックでホットコーヒーとアップルパイを楽しみながらベイズ理論についての解説を初めて読んだ時だった。マックのホールには小音でクールなハウスミュージックが流れ、微かな声が“~gotta keep goinʼon” とリフレインしている。

ところで、私はそもそも論として、棋士と人工知能の対決の書籍を楽しみながらも、“棋士と人工知能のどちらが勝つのか”、或いは“(勝率とか勝ち星の数から見た強さの意味での)どちらが強いのか”、という構図には殆ど関心がなかった。私は元々、“安い”“早い”“ウマイ”とかそういう一義的な価値の謳(うた)い文句に関心が乏しい。

ただ、例えば買い物においては、最も価格の低い物だけは無理な価格設定から生じるリスクや応接の雑さを怖れ、避けるようにはしている。ともあれ、とかく語られる“人工知能の強さ”についても、それが棋士と戦った以上は触れない訳にもいかず、棋士の将棋を考察するお膳立てとして、人工知能の属性のうちの“強さ”という極めて狭い領域にフォーカスして、私なりの考察を述べておきたい。

その書籍(『AIの衝撃』小林雅一著)には自動運転のシステムにおける人工知能の働きが解説されていた。車が障害物を発見し、動きを予見し、かわすとかブレーキをかけるなどして事故を回避する仕組みについてだ。子供にせよ猪にせよ誰かが蹴ったボールにせよ、現実世界における様々なハプニングを事前にデータ化しておくことは出来ない。人工知能に、予(あらかじ)め計算式を用意していないなかで、どう計算を初動させるのかという問題だった。

発想は転換から始まっていた。視覚装置が動く障害物を発見すると、人工知能は障害物の移動地点についてまるでデタラメの予測値を立てる。その後、移動地点を計測し検証する。当然、デタラメだから外れる。

再び当てずっぽうに別の予測値を立てる。それがたまたまもう少し良くなっていたら、それを踏まえて新たな予測値を立てる。検証する。悪かったら捨てる。もう少し良くなっていたら取り入れ、それを元にした新たな予測値を立てる。それを1秒間に数百万回(!!)行う。

すると、予測値と実際の値は徐々に近似値化されていく。私が思う転換というのは、計算を為すにあたって、そこそこの能力を用意する必要はなく、スタートは全く分けの分かっていない状態(混沌)でも良いという点だ。

この方法を開発者は、赤ん坊が立とうとする時の動きから学んだという。赤ん坊は立ち上がろうと足掻きながらデタラメに手足を動かし転んだりもする。しかし、その試行錯誤のなかから、上手くいった時の感覚を記憶し、少しずつ上手になっていく。そして、やがて立つ。

赤ん坊が立とうとするという行為は人間の最も根源的な衝動の現れであり(最初の自立の試みかもしれない)、その生物としての根源的な衝動を実現するやり方を人工知能に応用したのだ。“赤ん坊の知能で行える模索で物事は全て実現できるのだ。”私はその一事にまずは感動した。

感動し、それから津波のように、遅れて怖れが来た。コンピューターが事前のデータの蓄積やプログラミングによる指示を待たなくても物事を解決できるということは、経験の集積により培(つちか)われる知見という人間の優位性が消し飛んだという事だ。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『人間を見つめる希望のAI論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。