確かなことは何もわからなかったが、私の心に不穏(ふおん)な暗雲が()れ込めた。さらに一年ほどしたろうか。札幌の施設でMを担当していたスタッフが、大阪の施設を訪れた()り、私は彼にMの消息を(たず)ねた。すると、彼は頓狂(とんきょう)な声をあげた。

「ああ、あれ。あっ、どっかへ()っちまったよ。ここでも、そうだったんだろう?………」

私はその男に(つか)み掛かりたい衝動を抑えながら、どうしようもない悲しさと(むな)しさで胸が(ふさ)がれた。私には彼女の逃げたい気持ちはよくわかった。収容生活は男の私でも耐え難いのだ。

しかし、死ぬと運命づけられた(やまい)を背負って、彼女はどこに逃げたというのだろう。逃げて(ひと)りになれば、スリップするのが落ちだろう。酒を求めて当てどなくさ(まよ)うMの困窮と堕落と悲惨は、必至であると思われた。そして、私は醜く変わり()てた彼女を想像して、彼女を受け入れ(がた)いという気にもなった。しかし、私が女に()まれていたなら、やはりMと同じような生き方をするとも(おも)ったのだ。

Mがどうなったか、思いは(めぐ)って()きなかったが、何をどう想像しようと、私はその現実に対して無力(むりょく)だった。Mは身も心も引き()かれて、死に向かって()っていっただろう。

たとえ、まだ生きているとしても、以前の姿で私のところに帰って来ることはないだろう。すべてはただ私の心に(きざ)まれた(うず)くような哀惜の古傷を残しただけで、悲しみの霧の彼方(かなた)に消えてしまった。もう二度と(もど)っては()ないのだ。

――そして、それからまた幾歳(いくとせ)か過ぎ越して、もう彼女のうわさも消息も語る者はいなくなった。人はそうやって()えていくものなのだろうか。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『 追憶 ~あるアル中患者の手記~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。