昭和20年8月、終戦となり、社会情勢が混乱に陥りました。農地改革で地主は大損害を受けました。民主化ということで、若月先生の指導で、病院内にも労働組合ができ、その圧倒的多数の支持を受けて病院長に就任されました。

病院長となってから、はじめて佐久総合病院が大きく発展しました。病院に対しては、右からも左からも、さまざま圧力に曝されました。病院を解体しようという動きが何回もありましたが、院長の実績により常に回避を免れました。

地域には、寒冷、貧困、因習、封建制、無視、我慢などによるさまざまな社会的問題がありました。そこで院長の指示で劇団を組織し、地域を回って医療の啓蒙運動に取り組みました。どこに行っても盛況でした。

回虫という腸管内寄生虫は、地域にとって大きな問題でした。胃けいれんといわれる差し込むような上腹部激痛発作は、回虫が胆管へ入り込んでいたためでした。塊になって、腸閉塞を起こしたこともありました。特効薬のサントニンは入手できず、仕方がないので麦わらを煮詰めて、煎じ薬を大量に作って飲ませたところ、大きな効果があり、小中学校などで飲ませて喜ばれました。

若月院長は科学的にものを考え、実証して応用するというすぐれた才能がありました。脊椎カリエスなどの手術も試み、効果を上げています。近隣の八千穂村をモデルとした健康管理、精神科病棟の設置などは、どれも当を得たものでした。農民に多い四肢のしびれ感、腰痛、肩こりなどの一連の症状を来す患者を、農夫症と命名してその医学的社会的要因を解明しました。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『健康長寿の道を歩んで』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。