どちらの男がいい人か?

しばらく歩いて行くと、清住町に出た。このあたりの裏長屋だ。どぶの匂いが充満している。子どもたちがかけっこしている。麻衣は裏長屋を一軒一軒調べて行った。二列目の一番奥がその男の家だった。

戸を叩く。しばらく待ったが誰も出てこない。又叩く。やはり出てこない。そうしていると、隣の戸が開いた。

「や、あんた誰ですか。そこはいませんぜ」

髭が口の周りに生えている、太った男が言う。

「そうですか。いつ帰りますか?」

「いやもう帰りませんぜ。今朝方引越しましたからね」

「えっ、引越し?」

その男はじっと麻衣を見つめている。何と早い!

「次の居場所は知りませんか?」

「そんなこと知らないよ」

男はそういうと引っ込んだ。何と身軽な男だろう。麻衣は、仕方なく、家に帰ることにする。麻衣は身支度を終え、深川元町にある料理茶屋に行く。この料理茶屋は、麻衣の姉が仕切っている茶屋だ。麻衣の姉は、自分は武家なのに、嫁いだ先は商家だった。嫁ぐときものすごい騒ぎだったが、とうとう祖父が許してくれたのだ。許すも許さないも、とにかく姉がこの人と結婚できなかったら、死ぬ、と懐剣を首に当てたから、こうなったのだった。祖父も姉が出て行っても、麻衣がいるし、もうどっちでもよいと思ったのだ。

だが、最近その麻衣も、朝から出歩いているようだし、家にいるかと思えばすぐ出て行くし、心配になってきつつあるのだ。早いとこ結婚させなければ、と思っている。

料理茶屋には、麻衣は週に三日勤めることになっている。これは姉にしっかり守ってもらっている。

料理茶屋に来ると、麻衣はまた着替え、おかみさんに合図をして、酒をお盆に置く。

麻衣がふすまを開けて入って行くと、新之助と三人がいた。

「おお、麻衣さんか。待っていたぞ」

新之助が言う。それまでお酌をしていた千代が慌てて出て行く。麻衣は千代をちらっと見ていた。

「どうぞ、新之助さん」

麻衣は大きめの杯にお酒を注ぐ。新之助は、それをぐっと一息に呑む。

「新之助さん、今日はわたしと付き合ってくれませんか?」

と麻衣は言う。

「何、付き合って?」

「ええ……」

「そりゃいいとも……」

「それなら、今からよ、下で待っているからね」

と言う。新之助は、踊りたい気分だった。麻衣が誘ってくれたのだ。うむ、おれもまんざらではないわ、と思った。

新之助が下で待っていると、千代が出てきた。

「新之助さん、気を付けてね」

と言う。

「何を気を付けるのだ」

「麻衣さんから誘ったのよね。何か含みがあるはずよ」

というと離れて行った。含みなんかあるはずないじゃないか。千代が嫉妬しているのだ。俺は麻衣が好きなんだ。改めて思うのだった。