第1章  令和の今、行政改革最高のチャンス

遷都か少なくとも分都を

中央省庁であるが、文化庁は私が孫達と住む京都に決まった。しかし私は奈良の方がベストだったと今でも思っている。何故ならば、国宝は東京京都に次ぐ数のようであるが皇室の家宝として挙げられる正倉院御物も殆どが国宝級である。併せれば日本一の数である。

京都から古墳は出ないが、奈良では続々と新しい古墳が発見され歴史の定説が覆されている。私が奈良県のある市立病院に勤務していた時、明日香村で高松塚が発見されて飛鳥美人に湧き立った。今は纏向(まきむく)遺跡が興味の中心である。西暦704年の和同開珎より古い日本最古の貨幣も見つかり、歴史の教科書が塗り替えられたのは我々も承知のとおりである。文化財の研究や保存、修復も文化庁の大きな業務であろう。

また、観光客が京都を中心に大阪や神戸に偏り、奈良は通過点で宿泊客も非常に少ない。観光庁でもいいから奈良に1つの省庁は必要である。京都の神社仏閣は本来の信仰の場としてはもう極限的で、9時5時は外国人を中心に観光地化し、座禅や瞑想どころか墓参りも難しい賑わいである。私個人としては奈良にも少し譲ってほしい気分でもある。

一方で、先日の京都新聞の報道によると京都来訪の国内観光客が3年連続で減少しているそうである。外国人による観光公害という言葉も新聞紙上に見られる。古都情緒が失われつつあるのである。

例えば、京都で同窓会をやろうとしても宿がとれない。春の桜や秋の紅葉のシーズンなどは大手旅行会社が全て押さえている。数年前までは“にっぱち”と言われる2月と8月はどうにかとれたが、今ではそれも無理になった。

2月は中国や台湾、東南アジアの華僑の春節、8月は五山の送り火に外国人が殺到するからである。我々も皆後期高齢者になり、稀に上手くホテルが取れたとしても「夏は暑いし冬は底冷えのする京都に集めて人を殺す気か」と言われながらもやってきたのだが……。

ただ宇治や大津、高槻などの周辺に泊まりその地の魅力を知ったのは怪我の功名的な拾い物ではあった。京都人は皆、口では「おこしやす」と笑顔で外国人に言いながら胸の内では「もういい加減に」と思っているようである。

さて、何といっても一番急がれるのは気象庁の沖縄移転である。私は、学生時代から何故山手線の中に農林水産省と気象庁があるのか理解できなかった。母校の京都大学で「現場に出て、現物を見て、現実的に考える」という三現主義を身を持って知ったからである。人文科学研究所の面々は「路上観察学」(梅棹博士提唱)など訳の判らぬ学問をやっていたし、猿や類人猿の研究者は本人が大学にはあまり来ないので、奥さんが給料を取りに来ていたのを見たりしていたからである。

当時は給料振り込みではなく、タンザニアや犬山などへ行ったら半年位戻らない人も多く、それが当たり前であった。因みに今の総長もゴリラ学者。ゼミの研究生達が「先生を現場から離さないで」と総長選の時に逆選挙運動? をやっていたのは知る者ぞ知るである。

ここで後日談を述べておく。山極壽一総長は就任後暫くしての定例記者会見で感想を訊かれ「大学という所はジャングルよりジャングルらしいですね」と名(迷)言を述べられた。