いじめと戦争 平成十八年八月十三日掲載

名誉県民になった星野富弘さんは、新春てい談で「自分を中心に自分を知ってもらうんじゃなくて、まず相手を知ろうとしてほしい。相手を受け入れることで、いじめとか、そういう思いは出てこないと思う」とメッセージを送っていました。

「いじめ」とは「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的攻撃を継続的かつ執拗に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」と定義されています。

感じ方に個人差があり、客観性に欠け、強い弱いは逆転することもあるので非常に分かりづらい面があります。

単なる悪ふざけがいじめに見なされたり、ただの喧嘩が疑わしい目で見られたりもします。片方の言い分のみを通すのがいじめで、双方の言い分がぶつかり合うのが喧嘩であると言えます。

教師が「いじめ」を「喧嘩」として見過ごしたり、親が「喧嘩」を「いじめ」として大騒ぎするのも仕方ない面があります。

星野さんは

「私は小さな草花を描いている。知らないときは気が付かず、踏みつけて歩いていた。

でも小さな草花や虫をよく観察していたら、いろんなすごいものを持っていることがわかった。

その美しさ、すごさに気づいたら、踏みつけて歩けなくなってしまった。

人間も同じ。相手を知らないから傷つけることもできる。

それが戦争に発展するのだと思っている。お互いの理解が大切」

とメッセージを結びました。

(注)その後「いじめ」の定義は変わりました。

九・一一から五年、世界は今 平成十八年十月六日掲載

先日のNHKの番組で「テロ多発・アルカイダの実態」をみました。家族をアメリカ軍に殺され、その恨みを晴らすためといってタリバンに加わる人が増えている様子が描かれていました。

家族を失い、独りぼっちになった自分の将来に夢も希望も全く持てなかったら自分は生きていても仕方がない。全てを奪った相手に対して「自爆テロ」で仕返しをしてやりたいと考えたのでしょう。

アルカイダのビンラディンを応援する人の中には、家族をはじめ、何の罪もない人、女性や子供が理不尽に殺された恨みを晴らそうという気持ちを持っている人がかなりいるということです。

かつて戦禍の子供達の悲惨な状況を見て、トットちゃんこと黒柳徹子さんが絶句したことの一つに人形爆弾の話がありました。幼い子が人形を抱きしめた途端、爆発する仕掛けでした。戦争が地雷や人形爆弾を作らせたのです。

ある評論家は脆弱さが生む暴力性が世界内戦化をつくり出したと書いています。

ブッシュ大統領が脅威となる他者に対して、容赦なく暴力を振るう形で対応してしまったことが、日本でもいつテロが起こるかという不安を作り上げてしまった気がします。

※本記事は、2018年7月刊行の書籍『日本で一番ユーモラスな理科の先生』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。