「早く言えよ。引き留めなかった」

「いや、このインディアンサマー、ぶらつくつもりも」

立ち上がって、淳を視ている。

「淳、千駄ヶ谷だ、連れができた。僕ら地下鉄だ。クリスマスは家においで」

淳がやっと立ち上がって、重信と室町の方になんとか微笑して、さよならの代わりのようにありがとうと言うのを急かせるようにテラスを下りて待っている。

「どっと年を取った」

「お前が無茶するからだ」

「欲張ったなあ……気分よく会えただけで喜ぶべきだった。企んだ? と来た。敏感だ」

「うまく調子に合わせてくれた。大体、引き合わせようというの、よく承知したな」

「五十過ぎだろ。考えたんじゃないか」

「彼、何しているんだ?」

「金を使っている」

「…………」

「今、Y財団で助成金出す審査やっている」

「…………」

後姿が紛れて行く。

「似合うじゃないか」

「どういう知り合いだって?」

「俺の会社の後輩が彼の姉さんの亭主。なかなかの好男子で、女を寄せ付けない。興味深い。淳と仲直りできるこの際だ、企んだ」

淳くん、と呼んでみる。ちょっと離れて歩く。はにかんで、顔を隠すように俯いて、はいと返事する。

「重信さんから名前聞いて、すぐ君だと気付いた……懐かしかった……しらばくれて、会いたかった……出てくるときは、すれ違って視るだけにしようと思っていた」

淳は黙っている。

「お母さん、気の毒だった。世話になった」

頷く。

「家、お父さんといっしょじゃないんだね」

「ええ……」

「ずっと、一人?」

「ええ……」

「僕と同じだ」

記憶が消えるほど長い年月、一人だったなんて信じられない。二人ともどうしちゃったんだろう。能楽堂を行き過ぎて、駅の手前で立ち尽くす。

「結婚するんです」

俯いたまま呟く。

動揺して、なお立ち尽くす。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『フィレンツェの指輪』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。