巡礼 相楽総三

下諏訪に相楽たちを慰霊する「相楽塚」を訪ねたのは、3月の2日だった。途中中央本線の小淵沢の辺りは一面雪に覆われていた。遠景の前山は、葉の落ちた樹々と樹下に積もった雪とが織りなされ、横臥する鹿の毛皮のように柔らかな色合いを見せていた。

以前小淵沢から諏訪に向けて歩いた時には、途中の富士見峠の積雪に難儀したことがあり、今日も諏訪を訪ねるには早過ぎたかと心配したが、今回は、諏訪の街中はもとより、その先の標高1012メートルの塩尻峠でも、乾いた道を歩くことができた。相楽塚には上諏訪駅で降り、諏訪湖の湖畔を歩いて行った。途中の湯元では、間欠泉が10メートルほどの高さに湯を噴き上げるのに折よく行き会うことができた。

相楽塚は下諏訪駅のやや北、国道から枝分かれして少し入った所にある。表示には「魁塚(相楽塚)」とあった。石段を5段ほど上がる周囲よりやや高く土の盛られた40坪ほどの土地に小粒の砂利が敷かれ、よく清掃されたその正面に相楽総三を中心に8名の名を記した墓碑があり、造花ではあるが、花が供えられていた。

左手に用意されたベンチに腰掛けてしばらく時を過ごした。こじんまりと整った墓域の、雲一つなく晴れた春の日の昼時であった。町の教育委員会の設置した説明板には、「租税半減の旗印をたてて進んだが朝議一変その他によって賊視され云云」とあった。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『歴史巡礼』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。