仕事に励むことで家族を守っていると思っていたが...

「砂粒よりも、小さい種の中に、花の色と形と香りがつまっているなんて、不思議だと思わない?」

私の怪訝そうな顔を見て、妹は続ける。

「その上、茎の長さや葉の形まで。何処で生えて、どんな環境で育ったのか。もしかして、その時の風まで記憶しているかも知れない」

妹は子供の頃から、見えない世界に興味を示していた。その妹から、京子の気管切開をしてから、一週間ほど経ったある日、メールが届いた。

『遠くて何もしてあげられない。二、三日、私がそちらに行っても、たいして役に立ちません。京子さんのために自分に何ができるのかと、考えてみました。そして、K大学のiPS細胞研究基金のY教授の所に寄付をすることにしました。教職員の九割までが非正規雇用だそうです。身分の安定は、研究の成果を上げるために必要なことと思います。寄付は定期的に続けます。少しでも早く完治する薬が開発されればいいとの思いからです。心から、そう願っています。兄さんも腰痛に気を付けて、お過ごしください』

妹は生まれ持った独自の感性で物事を捉え、それを論理的に説明した。それは、知的探求心として、聞く側に伝わってきた。私は妹のそういうところが好きだった。

「そう、いつもワクワクするような結末がある」

「私、結婚当初、苦手ダッタ」

「そう?」

「ダッテ、古武士ミタイデ、寄ラバ、一刀ノモトニ、切ルゾ、ッテ、感ジダッタ」

「それって、自分の心でも切られたことがあるの?」

「遥カ、昔ノ事。アナタト、結婚シタテノ頃、苦手ダッタダケ」

京子は最後を曖昧にした。そして、付け加えるようにして微笑んだ。

「今ハ大丈夫ダヨ」

「結婚した頃かぁ」

結婚した時の誓いの言葉に、「楽しい時も、苦しい時も、共に分かち合い、白髪となり」というのがある。

私はその頃、ういういしい京子を一生守れることへの喜びで、感激して神の前で契約を交わした。災難からであろうが、危険からであろうが、あらゆることから守り、自分の人生計画の中に、京子を組み込んでいく儀式だと興奮していた。男はいつも自分が優位な立場にいると思っている。

妻が亡くなってから、たった一人の息子とも音信不通になったという、A病院で出会った初老の佐山さんの言葉が、訳もなく脳裏をよぎった。

「妻を、亡くなる前に失いました。その数日後に家族、全てを失いました」

私も妻が不治の病になるまでの四十数年間、深く考えることもせずに、一方的に守っているつもりになっていた。仕事にも励んでいることで、家族というものも守っているつもりだったが、本当は京子が家族を守っていたのだ。

そのことにおぼろげだが、歳を重ねていくうちに気付き始めた。今、考えれば、私は自分以外のものを守るなど到底できやしないことだと悟った。妻を眺めて、家族を眺めていたに過ぎない。それなのに、男というだけで大きな顔をしてきた。