「三好長慶は智謀勇才を兼て天下を制すべき器なり、豊前入道実休は国家を謀るべき謀将なり、十河左衛門督一存は大敵を挫くべき勇将なり、安宅摂津守冬康は国家を懐くべき仁将なり」

《『南海治乱記』より》

嫡男の範長(のちの長慶)は、冷静沈着にして頭脳明晰。次男の之虎は、英雄豪傑にして茶を嗜む。三男の冬康は、温文爾雅で連歌を詠み、四男の一存は、闘志満々な大武辺者。

三好四兄弟は以後、それぞれが持つ能力を遺憾なく発揮し、天下の表舞台へと昇っていくのである。

斯くして二万の晴元勢は越水城を出陣すると瞬く間に摂津国を勢力下に取り戻し、京に迫る勢いを示した。

晴元勢のこの動きに恐れをなした将軍義晴公は京を抜け出し近江へと逃れていった。

喜んだ晴元様は、範長様の亡き父元長様と同じ〈筑前守〉の官途を範長様に与え、同時に範長様は名を〈三好長慶〉と改めた。

その日の宵、越水城内の役宅で、儂は盃を片手にしていた。

「千春よ。我が殿、長慶様はよく衆議を諮ってくださる。有り難いことじゃ。

殿に初めてお逢いした日、領地を治めるコツについて問われたことがあったが、儂は何と答えたと思う」

柔らかく微笑む千春は、少しだけ思案顔をして、

「周りの者の話をよく聞くこと……とでも申されたのでございましょう」

と、また柔らかく微笑んだ。

「何故わかった」

「お前様が、いつもそうなされていることを、私はよく存じておりますもの」

儂も自然と微笑み返して、盃に口を付けた。

そうなのである。儂が申し上げたからなのか、それはわからないが、長慶様は独断に走らず、よく皆の考えを聞いてくださる。今日の軍議もそうであった。

甚介が「我が殿は素晴らしきお方じゃ」と言うておったが、ほんに素晴らしき殿様じゃ……と、儂も思う。