『八汐の海』

葵は勤めに出なかったが、編み物と植物画と紙粘土の塑像作りを休みなくしていて、教会施設のバザーを助けていた。 (つたな)いけれど一生懸命、と謙遜しながら。それから、背丈ほどのすごく古いハープを持っていた。独りの時に古いメロディを (はじ)いていた。

室町と重信は間もなく理解した。産みの親、とか、肉親、とか、血の繋がり、とか、その圧倒的な自明が人の誠意を脅かすことを恐れたのだ。だから、どうしても養女だと言い聞かせたのだ、人にも自分にも、幼い娘にも。人は人を思う気持ちだけで繋がると葵は信じている。血の繋がりに寄りかかって心を用いなくなることができなかったのだ。

その方面の友人知人や親兄弟でさえ、彼女の体の異変に気付かなかった。受診していきなり乳癌が見つかって、本人が免疫療法しか受け入れず、自宅でふつうに暮らしていた。訊かれると正直に答えていたが、常に変わらず平静だったから、事の重大性を大方が信じなかった。

死ぬことは怖くないのよ、別れることが本当に辛い、と淳にこぼした。あなたと、お父さんと、重信さんと、本当に。治療が効かなくて衰弱が進むと、楽しかったわ、と頬笑むようになった。最後には、病院はいや、あなた方の胸に引っ越すわ、と笑った。凄絶な表情だった。

看護師に二十四時間張り付いてもらい、毎日医師の往診を受け、父と重信さんが交代で母の部屋にいた。モルヒネだけになると二人の嘆きは深かった。なんでこの人が、と。

楽しかった、は 今際(いまわ)の母の偽証だった。男も触れず、乳児が吸うこともなかった母の乳房に癌。五十年を生きられなかった。男たちは済まなかった、済まなかったと冷たい手を取って号泣した。感傷なんだ、けれどもあの母に二人は余りに酷薄だったと淳は心中激しく責めた。

柩の母に室町の父は、もし、あなたが神様に直に会えたら、僕らがこれから毎日生きていくのはどうしてか教えてと頼んでくれ、と囁いた。君が神様に直に会えないのなら、僕らは決して会えないのだから、と重信が神妙に言い添えた。

宗近は職を退いた後は別宅に逗留するようになっていたが、 も一人の妻(・・・・・)が神経科に入院してからは結婚しない長女との暮らしが耐えられず、本宅に戻ったりホテル住まいをしたりするうちにフレイルが進んで、やっと死に支度に手を付けた。

長女に持参金を持たせておとなしい男の後妻に入れた。淳には、お前のために残せるのはお母さんの家だけだ、金にした方がいいのはわかるが、処分はお前に任せる、末娘に、特別の愛情を込めて、と覚束ない筆跡ながら自書した手紙を弁護士に持たせた。

ありがたい贈与だった。母亡き室町の家は余りに辛かった。室町と重信は感傷旅行を企てる。淳は頑なになって生家に戻ると主張する。君の胸に引っ越した葵さんがそれを喜ぶなら、と重信に言われると悲しみが極まった。

お前も連れて旅行したかった。いっしょにここから抜け出そうと思ったが、一人一人で足掻くしかないのかもしれない、と父は打ち萎しおれた。行くといい。だが、ここも君が生い立った生家だ。葵さんが地上で君と暮らした家だ。忘れないで。

淳を挟んで銀杏の街をそぞろ歩く。歳月人を待たずとはよく言ったね。宙に舞う落葉の群舞を見上げながら街路を渡る。

ほら、あの同じ枝から離れる。群れてあの辺りに。視ててご覧。一枚だけ逸れて行く。僕らは暇人だねえ。スウィッチバックする。日長に、お母さんと、日長の品定めしたの。そんなこともあっただろうな。うん。両側から頭を傾げてくる。お父さんと重信さんのことだけ。お父さんは微笑しても口元は真一文字だって、それ思い出した。お母さん、お父さんを大好きだった。重信さんの気持ちがわかるって。母はそのとき、男心に男が惚れて、とハミングした。二人が大笑いする。讃美歌とはえらい違いだ。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『フィレンツェの指輪』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。