そして、個人句集を読んでいると、中に群を抜いて目立つ句がいくつかある。多数の読み手がそのように感じた句は、その句の作者の代表句として喧伝(けんでん)される。

そうしたもののうち全ての句に神様がかかわったといえば、俳人に対して失礼になろうが、他の句と段違いに素晴らしい、とても同じ俳人の句ではないような、名句、秀句を見ると、やはり神様の関与を疑いたくなる。

私の推理では、初めて神様が俳人の句づくりに示唆を与えたのは、延宝八年(一六八〇年)の冬で、俳人は松尾芭蕉である。芭蕉が深川へ移り住んでからの句は、江戸日本橋で桃青(とうせい)という名で、俳諧の優劣を判定して金を得る点者(てんじゃ)をしていた時代の俳句とは、比べ物にならぬほど大幅な進化を見せている。

引っ越しという単なる環境変化が、俳句にそのように大きく影響するとは思われない。芭蕉は俳句の神様の助力があって俳聖になったのだと、私は考えたい。河合曾良が旅日記に記録していないので、あくまで推測に過ぎないのだが、奥の細道の旅にも神様が同行したのではないだろうか。旅から戻り奥の細道の原稿を書いた時にも、かたわらにたたずんでいたかも知れない。

有名な俳人達、それも松尾芭蕉まで引き合いに出した、少し強引な自己弁護になってしまったが、神様の助力を得てはいても、私の句は絶対に盗作ではない。

「松岡、話は変わるけど、こんなコスプレの俳句の神様ってすごくチャーミングだと思う。俳句の神様について、もっと知っていることはないのか」

やや尖った禿頭を酒で赤く光らせた立村からの、週刊誌のレポーターのような質問だ。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『春風や俳句神様降りてきて』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。