おかんはいかにしてサッカーコーチになったのか?

コーチになった瞬間

さて、いろいろあったおかんですが、本章のタイトルにもある「おかんコーチ」のことに触れたいと思います。

息子が小学4年生のシーズン、おかんはそこそこ試合の審判を担当しました。そのときは審判サポートの立場でした。

中学年なのでそれほど試合数はなかったはずですが、だからこそ限られた試合を絶対成立させたい気持ちがありました。「審判がいないから」という大人の側の理由で子どもの試合の機会をなくすのは避けたかったのです。

おかんが審判をできるようになるために、練習にも積極的に参加させてもらいました。

サッカー経験がないママというのは、そういうものだと割り切ってしまえば、使い手はあるもので、練習時に子どもの人数が揃わなかったときには、プレイヤーとして参加しました。

小学生からすれば、とりあえず人数の足しにはなるし、うまくないママだからたぶん怖くないし、おかん自身は、とにかくサッカー経験がなかったので、ゲームの理解、そこに関わる人間の心情を理解するのに役立てていました。

夏と秋はけっこう頑張ったのですが、冬はちょっと立ち止まりました。社会福祉士の試験が1月末にありました。それと、翌年度は子どもが高学年へ進み、チーム編成が変わっていく時期にあったので。冬はちょっと立ち止まりました。

ただ、高学年(5・6年生)のコーチはすでに4名いて、その翌年に中学年でメインコーチを担当しているTコーチが高学年に上がると、高学年のコーチは5名になるので、審判が足りないということはなさそうでした。

一方で、低学年は審判の人数が足りませんでした。12月末の練習試合後、おかんは審判をしたあとで、高学年のコーチとTコーチに、

「来年度は高学年コーチの人数も多く、審判の人数が不足することはなさそうですし、私はできれば審判が手薄の低学年の手伝いに入りたいです」

と相談の形で申し出ました。

正直、中学年の審判でさえ不出来なおかんにとって、高学年の審判へ移行できるか不安でした。おかんの申し出はコーチ預かりということになり、来年度の編成が決まるまで保留になりました。

翌年の2月末か3月初め頃だったでしょうか、久しぶりにサッカーの練習へ行くと、コーチの人数は少ない様子でした。

(あれ? 高学年は5名のコーチがいるはずなのに?)

話を聞くと、結局、翌年度に高学年のコーチとして確定しているのはTコーチ含めて2名だけでした。高学年のコーチたちは、仕事で遠方に引っ越しがあったり、指導者不足の低学年へ移ることになったりと高学年コーチが減ることになってしまったのです。

それで、久しぶりに練習に顔を出したおかんに、Tコーチから打診がありました。

「山﨑さん、コーチまでやってほしいとは言いませんが、やはり高学年の審判をやってもらえませんか?」

当時、専業主婦だったおかんは、

「えーと、私、4月から働きに出るんですよ。でも、土日にサッカーをやりたいから、土日に休みがある仕事にしたんですね。高学年の審判となるとけっこうというか、かなりきついですけど、まぁでも何とか頑張ります。子どもたちを試合に出したくて審判していますし」

と考えながら結論を出すような返事をしたと思います。チーム内人事異動を聞くまで、おかんのなかで、低学年をサポートするシナリオが半分描かれていたので拍子抜けのような、それでいて気が引き締まるような複雑な気持ちでした。

まぁ、でも身の置きどころが定まり、高学年の審判がスタートするとなって覚悟ができました。高学年のスピードとパワーに対応できる審判として自分が育たないといけない、生半可な気持ちで取り組むわけにはいかない、と考えました。

こうして次年度の動向が決まりかけていた3月の終わり頃、春のフットサル大会の件で、練習前にコーチたちが集まって審判の割り振りを決める打ち合わせをするというメールがありました。

おかんはコーチではないけれど、「審判の割り振り」ということで顔を出しに打ち合わせに行くと、すでにコーチたちが集まって、フットサル大会の時程表を見ながら、試合日とコーチたちの仕事の都合などを勘案しながら、割り当てを相談していました。

高学年について話がおよんだので、おかんが、

「お当番をどうしようか?」

と言うと、コーチ陣は一様に「うーん」と困った顔をします。コーチや保護者代表でない保護者は、引率当番、ピッチ当番、会場警備など、持ち回りで運営に関する役割がまわってくるのです。

そのとき、Tコーチがおもむろに、

「山﨑さん、コーチやりましょう。そのほうが早いです」

とズバッと言われました。

(え? あれ? コーチ? 『そこまでとは言わないまでも』ってはずだったんじゃ……)

おかんが戸惑っていると、

「いや、まぁ大丈夫ですよ」

とTコーチが気楽に言ってきます。

でも、改めて考えると、息子が卒業するまでの土日はサッカーに捧げると決めて家族間の了承は得ているので一番大きな「時間」の問題は発生しません。

そして、高学年メインコーチでエスフォルソFCの代表となって年月を重ねたTコーチが大丈夫と言っているということは、何だかよくわからないけれど何とかなりそうで、あとは私の気持ち一つだ、と考えました。

そこでおかんは、

「あ、わかりました。じゃあ、全然サッカーの技術的なことはできませんけど、審判はいままでもやってきましたし、技術的なことはこれから何とか頑張りますので、よろしくお願いします」

と言って、おかんはコーチになってしまいました。

そのときの、ほかのコーチの「ええっ!」という表情が、何だか忘れられません。

でも、ほかのコーチの話を聞くと、皆さんもけっこう成り行きでコーチになったと言うので、おかんも標準的なパターンだったのかもしれません。

ただ、“ママ”というのはたぶん珍しいと思いますけど。

それ以前に、周りから嫌悪を示されなかった、受け入れてもらえた、というのが本当に珍しいケースだと思います。

「女のくせに」
「ママのくせに」
「サッカーできないくせに」
「サッカーの何たるかを理解してないくせに」
「勝手な家庭の都合を言ってくるくせに」

……などなど、おかんをコーチにしない理由を挙げれば、きっと口に出せること出せないこと、いろいろあると思います。そういうのをぽーんと飛ばして、Tコーチはおかんをコーチにしてしまいました。

(さすがに経営者は感覚が違う)

そんなわけで、おかんはあっけなくコーチになってしまったのです。

※本記事は、2020年6月刊行の書籍『グリーンカード “おかんコーチ”のサッカーと審判日記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。