私にとっての本の意味とは

優越感を語ることによって、もしかしたら私は読書への重要性を説きはじめているかもしれません……。がしかし、まだまだ課題は残されています。

再びネガティブなことを言わせていただくと、本を読むという行為は、一定時間の拘束を余儀なくされます。いくら好きで読んでいると言ったところで、それによって睡眠時間が削られ、仕事が立て込み、休みのない状態に陥っている人もいるのではないでしょうか。読書が、自由時間を狭めているという可能性はあります。

さらにもっと根本的なことを言うと、読書に頼らずとも他に有意義な趣味をもち、それによって大きな刺激を受けている人もたくさんいます。「読書だけが人生におけるバイブルと言われても」と考える人がいたとしたら、それはしごく真っ当な意見です―この想いは、きっと私がどれほど本を読むようになったとしても、トラウマのようにフラッシュバックする記憶だと思います。

読書の落としどころ 読む姿勢を貫くことから発せられる“幸福感”

世のなかの多くの人は、本を読む意味というものをどう捉えているのでしょうか? それを確認したくて、「“読書”・“価値”・“意味”」のようなキーワードを用いて、ネット検索してみました。そうしたところ、読書について書いた本というのは、ほとんどの場合、自己啓発の体をなしていました。「読書って、つくづく何かを得るための強化作業なのだな」というプレッシャーを感じました。

検索に引っ掛かったタイトルをランダムに紹介しますと、一生役立つ読書術、「自分を変える」読書、読書を仕事につなげる技術、死ぬほど読めて忘れない高速読書、20代の読書が人生を決める!、読書はアウトプットが99%、人間力を高める読書法、教養が身につく最強の読書、将来の学力は10歳までの「読書量」で決まる、ビジネスに効く最強の「読書」などなど、挙げれば本当にキリがありませんが、とてもキレのある魅力的な見出しが並びます。

読む人が読めばきっと役立つでしょう。それは否定しません。ですが、こう言っては身も蓋もないですが、読んだからといって必ずしも上手くいくとは限りません。成功する保証もありません。失敗者も、相当数の本を読んでいたりするものです。

私においても、読書から学べる人間力や突破力、アウトプットや付加価値を期待して、立派な本を読んでいた時期もあったのですが、読めば読むほど、ハマればハマるほど不具合を生じてきました。それは、本と自分とのギャップをどんどん感じてくることでした。

偉人たちの本を読んでも、なかなかそのとおりに実行できません。というより、だんだん読むのが苦痛になってきます。こういうときは、「本の効用は人それぞれだ」という都合のいい解釈を採用し、自分自身に対して、「何かひとつでも考えが変わり、行動へと導くことができれば、その読書は無駄ではなかった」という是認を与えるのです。あるいは、「人のモノマネができたとしても、そのぶん、創造性が失われるだけだ」などと、強がってみることで自分を納得させるのです。

読書というのは、知り得た知識を活かすというよりも、読む姿勢を貫くことから発せられる“充実感”というか、“満足感”というか、もっと言うなら“幸福感”というものの方が大切なのではないかという落としどころで自分を安心させるのです。かつての自分がそうだったように。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『非読書家のための読書論』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。