「本を読んでいる自分に酔う」という作戦

安直かもしれませんが、読書男子になるには、本はもちろん、本を読む自分ごと好きになるということです。先にも言いましたが、読書をしている自分は格好いいと思い込むことです。いや格好なんかはどうでもいい、チャラい容姿に片手にハードカバーという方が、むしろギャップがあっていいかもしれません。

喫茶店で美しい装丁の本を姿勢よく読む真面目な姿も素敵だし、電車のなかで書店のカバーのかかった文庫本を片手で読んでいる姿もクールだし、スタバで横文字の本を待ち合わせ時間まで読んでいた日には、私が女子だったら一発で惚れるでしょう(デュラスやラディゲなど、現代フランス文学の翻訳本が最適でしょう)。

ゲーテやニーチェ、ダンテやセルバンテスはやり過ぎかもしれませんが、ショーペンハウアーやドストエフスキー、シェイクスピアやユーゴーくらいなら、たとえ読まずとも持っているくらいは許してくださるのではないでしょうか。

本を読んでいれば、語彙が豊富になります。映画を観たあとに「面白かったな」ではなく、「いやーっ、まったくあの展開には眼福でしたわ」なんてつぶやけますし、「大変お世話になりました」ではなく、「ひとかたならぬお世話になりました」とさりげなく言えます。「慈しむ」、「狂おしい」、「清か」、「匂いたつ」、「緑の黒髪」、「見目麗しい」、「倦まず弛まず」、「月に叢雲花に風」などなど、普段はあまり使わない言葉も使いたくなるものです(『「大和言葉」たしなみ帖』〔永岡書店〕より抜粋)。

読書は自己評価、つまりセルフイメージを上げることにつながります。まずは、その本にチャレンジしたという自信が生まれます。「シェイクスピアやゲーテやプラトンの本を読もうとした」という自尊感情です。くどいようですが、「自分は、外でも本を読むくらい文学が好きなんだ。だからすごいんだ」、この自己暗示をあちこちで実践し、優越感に浸りながら本を読むことです。

「そんなことで優越感を感じるなど、なんて器の小さいヤツだ」と言いたいでしょう。そのとおりです。小さいのは百も承知です。しかし、その器を大きくしていくためのひとつの方法もまた読書だということです。「本を読んでいるオレって格好よくね!」が、「本を読んだおかげで自分は格好よくなりました」という、自惚れがやがて自信につながる日まで。

まとめ

現実を述べます。知的で賢そうに見られたとしても、実際に読んでいなければ、すぐに底の浅さは見透かされます。読んでいる割に表現は貧素だし、たいして物知りでもない、話も下手だし、読書好きのイメージにある物静か、マイペース、好奇心旺盛なんてこともいっさい感じられない。

逆に、ナルシストでロマンチストぶりが鼻につく、なんていうことにもなりますから、化けの皮が剥がれる前に本当の読書好きになるしかないのです。そんな読書のきっかけも、人間的で素敵だと私は思います。

これ以上語ると自意識過剰と思われるかもしれませんので、この話はここで一旦切り上げます。