しかし、保些は大きく首を横に振った。

「おやじ殿。龍神(たつ)(もり)の里はその名の通り龍神に守られている里です。今まで龍神を恐れ、他のクニや里は戦いを避けている程ですぞ。それに、今まであの里を我が物にしようと襲った者達は、羅技殿の力に圧倒されて退散したとか……。羅技殿の身体には龍神が宿っているという噂もあります。里の豊かさは、里に住む里人達が龍神を大切に祀っているからだと幸姫が申していました」

「フン。馬鹿な。龍神だと? ただの作り話よ。龍神などこの世に居るものか。今まで倒してきた里やムラでは、それぞれ色々な神が信仰されておった。戦で奴等を皆殺しにしてきたが、神の祟りも罰も受けていない。そもそも神そのものは作り話よ! 神の祟りだと言って襲われない様にわざと恐れさせる為の口実にすぎん」

「塩や翡翠が欲しければ譲ってもらえば良いことでは……」

「和清はともかく、息子の羅技という奴はこのわしを馬鹿にしおった。お前と幸姫の祝言の宴席にて、わざわざ頭を下げて頼んだというのに、奴は戦の為に使う塩は譲れないとわしを見下げて笑ったのだぞ。思い出しても忌々しい」

「私達が生活するに充分すぎる位、頂いております。それも無償ですぞ? 羅技殿は戦を好まぬと言っていました。今まで塩は遠くのクニまで行き、買って来ておりました。それに、とても高額で取引しておりましたのに」

保繁はその場に在った書物を放り投げると、慌てて拾う保些を突き飛ばした。

「わしはあの里を手に入れるぞ! 保些、お前はわしの命令に黙って従え」

保些は身体の力が抜けてその場に蹲った。保繁は部屋を出ると、

「聞け、皆の者ども! 明朝、龍神守の里へ向けて出陣する」

保些はよろめきながら自分の館に戻り、保繁が龍神(たつ)(もり)の里を攻める旨を幸姫に伝えると、幸姫は驚きのあまり身体を震わせ、その場に泣き崩れた。

「そなたの里や里人達。父上殿や羅技殿、そして、姉妹の姫達を失いたくない。しかし、おやじ殿の命令は絶対なのだ。口惜しいが私にはおやじ殿を止めるだけの力が無い。逆らえば私とそなたの立場が危うくなるだろう」

幸姫は保些にしがみ付き、

「そ、そんな……。私は貴方様に嫁ぎ、阿修のクニと龍神守の里は強い絆で結ばれたのだと信じておりましたのに……」

「おやじ殿の考えは、子である私にも理解出来ないのだ。今、言えるのはこのクニを強く大きくする事のみに走られている。今までおやじ殿に従い、戦うことを強いられてきた。おやじ殿はとても残忍で恐ろしい」

「里は龍神様がお守り下されております! それに兄上様はとても強うございまする!」

保些は大きく首を振った。

「羅技殿がいくら強くても、我がクニに居る兵の数にはとても敵わぬ。そなたの里に居る武人達は五十人と少ししかいない。阿修の兵は四百人である。一斉に攻め入れば……。それにそなたは龍神を見たことがあるのか?」

保些は震えて泣き続ける幸姫を強く抱きしめた。暫くして幸姫は寂しく微笑んだ。

「御父上様に従います。私は保些殿の妻で御座います」

「さ、幸姫……」

幸姫は保些の腕の中からすっと出ると、奥の部屋へ入って行った。保些は部屋の外で幸姫に言った。

「幸姫……。許してくれ。私は命にかけてそなたを守る」

保些は袖で涙を拭うと、父親の館へ走って行った。幸姫は部屋に居る侍女達に、疲れたので眠ります、と言って下がらせると部屋の明かりを消した。暫くして部屋の外に人の気配が無いかとそっと耳を澄ませると、髪飾りを外し、髪を流した。そして化粧箱から小刀を取り出すと、左側の髪を二ヵ所糸で止め、肩の所からぶつぶつと切った。一つの髪の束は、月明かりを頼りに書いた文とともに、嫁ぐ時に羅技からもらった領巾に包んだ。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『龍神伝説』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。