金が入ったあとは使うことになるのが成り上がり者の常だが、俺はやはり慎重に貯めることにした。なおさら貯金が増えていった。

まさにサクセス・ストーリーなのだが、俺はあえてそう考えないつもりだった。映画の主人公のようになっていく自分の境遇が、少し恐ろしくなってきたからだ。ついてなかった自分が成功したからといって、この先のことは誰もわからない。

ただ、自分の脚本に誓って、それと同じ人生にはしない。お前が行動を誤らなければ、おそらくうまくいく。おとなしくしていようと思った。計画はないが、この先のことを、生き方を探さなければ。

しばらくおとなしく暮らしていたが、それは半年くらいでやってきた。突然、新しい脚本を書かないか、という話がきたのだ。お前が書きたいことを書いていい、と言われた。

どんなことを書いてもたいてい許されるはずだが、詐欺を匂わすようなことを書き続けるのは危険だと思い、やめることにした。

次に書いた話は、自然災害に襲われ、九死に一生を得た人々が生活再建に向けて努力していく話だ。もちろん、大震災がモデルになっているが、架空の話だ。

主人公は一人ではなく、オムニバスになっている。話が同時進行しながら、それぞれの主人公が必然かのように出会っていく。その出会いこそが地域再建の力になっていく、という話にした。

生活の大変さを経験した自分だから、かなり実感を込めて書いた。おもしろいかどうかより、感動的に仕上げるようにした。

そして、脚本はまた同じ監督によって映画化されることになった。幸せについて考えさせる内容だが、話はいろいろな人の人生が凝縮されていた。

これが確かな感動を呼んだ。何か知らない大きな、まるで見えない力が、俺の生きる道を切り開いていくように感じた。二本、映画が成功したことで、今までとは全く違う人生が用意されていた。

確かなことは、苦しい生活とはおさらばした形になったことだ。アパートからマンションに移れただけじゃない。何かしら仕事がきたし、常に忙しくしていた。大きな達成感も得られたし、この先もうまくいく気がした。

だが、それは危険な考えだった。大変な事態が俺に迫っていた。

はかない成功者としての道が待っていた。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『いたずらな運命・置き去り 【文庫改訂版】』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。