今回の神様は、見かけ以上に鼻っ柱が強く、言い方も情け容赦ない。

「紅葉といえば、視覚以外に何がありますか。聴覚ですか、臭覚ですか、味覚ですか、皮膚感覚ですか。どうもピンときませんが」

私も反発して言い返してしまった。

「味覚、味覚か。面白いね」

神様は、三分間ほど左手の親指と人差し指であごを支えて考えていたが

「これはどうかな。『山粧ういろんな味のチョコレート』。秋の山のいろいろな色の紅葉に、チョコレートの多彩な味を取り合わせた。包み紙ではなく、チョコレートその物を口に入れて官能的に表現するのだ。

紅葉が山を一面に染めているが、秋の山の樹木は、それぞれ種類や色や大きさが違う、つまり個性的だ。その個性が集合して山が彩られている。まさに箱に入ったチョコレートをつまんで口に入れると、甘いのも、苦いのも、木の実の味のも、洋酒の味のもあって、いろいろな味がするじゃないか」

「秋の紅葉に、味で取り合わせるなんて、相当な冒険ですね」

「俳句は自由に作っていいのだ。花鳥風月を滑らかに詠むだけが俳句ではないと思うがね」

神様は、青い絹のハンカチで口を拭うと、銀座の馴染みのバーマダムの誕生会をやるからと、また煙になって窓から姿を消した。

起き上がって、俳句雑誌で調べたら、俳句の神様が今回姿を借りた、特に個性的な俳人は、日野草城ひのそうじょうだった。

今回の神様は、俳句の世界で誰も試みなかったエロティックな連作「ミヤコホテル」を作り、新興俳句運動などでホトトギスを除名になった作者らしく、俳句は自由に作る、官能を活かすという指導は印象に残った。

季語に対し、これほど離れた語句を取り合わせるのかと少し驚きもした。私も勇気を持って、新しい句を創造していきたい。それにしても、言うこともすることもとてもダンディな神様だった。さぞ女性にもてることだろう。

山粧ういろんな味のチョコレート

春の灯や女は持たぬのどぼとけ 日野草城

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『春風や俳句神様降りてきて』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。