神様は罰など与えません

そしてもう一つ母の説教で、私が強く影響を受けたのは「神様は罰など与えません」「罰は自分の行いをよくよく知っている自分の魂が最後に自分自身に与えるものです」という教えだ。これは『未知日記』の師から教えられた。

自分の行いやその時その時自分の行動のもとになった心の持ち方─どんな心でそのことを行ったかは自分自身が一番よく知っている。失敗に終わったことでも、その最初のきっかけには「よかれ」という良い思いや、やさしい愛の心があったかどうか、それは我のみぞ知る世界だ。この「自分が自分に罰を与えるのだ」という考えはずっと私にとっては脅威だった。

「じゃあ、悪いことできないじゃないの」

それは何より強く私の思いや行動を戒めることにつながった。もともと心正しく生きたいなどと思うような立派な人間ではなかったので、「正しいことをする」より「自分のしたいようにする」という生き方を選んでいたかもしれない。そういう私でも基本的にこの考えがあったから、何とか社会の規範に収まってきたのだ。そうでなければ紐の切れた凧のようにどこへ飛んで行ったかわかったものではなかったろう。

私はどちらかといえば「信仰心」などにまったく関係なく生きたいと思っていた魂だったとしか思えない。

「信仰」というようなことより、断然遊びごとの方が好きな傾向にあっただろうという確信はある。現在でも本当はお芝居を観たり、お洒落をしたり、素敵な男性に心ときめかせたり、おいしいものを食べながら楽しくおしゃべりしたりして生きていきたいとかなり本気で思っている。

働くというようなことは考えもせず、生活や経済のことは考えずに、庇護されて生きられたらいいな、と思っているところがある。いまどきの女性たちからは総スカンだろうが、自立なんて全然望んでいない……という方が本音に近い。いわば贅沢に属すことの方が断然好きなのだ。いまもそういう傾向に変わりはないのだが、私の魂は今回の人生で少しこの傾向を改めようとしていたのだろうと思う。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『母の説法 人生で大切なこと』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。