月曜日はポツダムへの半日観光ツアーに参加しました。ポツダムはプロイセン王国の夏の離宮があったところで、19もの湖に囲まれた公園の中にプロイセン王国発展の基礎を築いたフリードリヒ大王(在位1740年~1786年)が18世紀半ばに建てたサンスーシ宮殿を始め14の宮殿が散在しています。日本に無条件降伏を求めたポツダム宣言が採択されたツェツィーリエンホーフ宮殿もその1つです(冬の本宮殿はベルリン大聖堂の前にあったそうですが第二次世界大戦の爆撃で破壊されました)。

各宮殿は博物館・美術館になっており、ガイドさん曰く全部ゆっくり見ていたら3日間でも足りないそうですが、冬の間公開されているのは4ヶ所程度です。その代わりどこへ行っても観光客は少なく、今回も大型バスに4人だけでサンスーシ宮殿もゆっくり回れました。サンスーシとはフランス語で憂いの無いという意味で、階段状のブドウ園の上に建てられたロココ様式の代表的な宮殿です。

サンスーシ宮殿

また何の役にも立たない知識を仕入れたのでいくつか披露すると、ポツダムはプロイセン王国・ドイツ帝国の将校・官僚・兵士の住居・兵営が多くあったこと、サンスーシ宮殿はフリードリヒ2世(大王)のお気に入りでしたが部屋数は12しかなく個人用の別荘の趣だったこと(公式行事には部屋数400以上の新宮殿を使用)、フリードリヒ大王は政略結婚した王妃とは仲がよくなくサンスーシ宮殿は夏の半年間女人禁制だったこと、大王は軍人用のベッドで寝ていたこと等です。

フリードリヒ大王は74歳で跡継ぎを残さず亡くなり、バス・ツアー参加者の一人から「性的異常者だったのか」との質問がありましたが、証拠は無いもののまじめな軍人だったというのが真相のようです(現代人はすぐそのような発想をする癖があります)。

そういえば、先月のプラハ紀行でご紹介した某都市銀行のロンドン駐在員はベルリン駐在員事務所長時代、ポツダム市と日本の鎌倉市との姉妹都市提携を提案したそうです。それぞれの首都に近く軍事都市としての歴史を共有しており、また自然環境も似ていて絶好の組み合わせだったのですが、ポツダム市が資金不足で進行しなかったそうです。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『ヨーロッパ歴史訪問記』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。