他人の目を惹く紙の読書

電車のなかでは、スマホ片手に時間の流れをやり過ごすというのが日常的です。七人掛けの座席で、七人全員がスマホを眺めているという光景も、もはや珍しくありません。もちろん、電子書籍を読み耽っていたり、仕事のメールを処理していたりする人も多いことでしょう。

そんななかで、紙の本で読書をしている人は目を惹きます。これまた、異性について語って申し訳ありませんが、きちんとした女性だったりすればなおのことです(もちろん、イケメンでもそうでしょう)。スポットライトを浴びたように、その一点だけ、清涼な風に吹かれた神々しいまでの端麗な、そして、少しだけレトロな空間に包まれます。ブックカバーをしていても構いませんが、できれば本のタイトルだけでも覗いてみたくなります。たとえそれが、「男に媚びない女の立ち振る舞い」的な、意識高い系の本だったとしても。

ド派手なギャルメイクの姉ちゃんが、バッグから隆慶一郎の『死ぬことと見つけたり』を取り出した時には、うっかり座席からズリ落ちるかと思いました。朝の満員電車のなかで「一流のデキる男になる」的な自己啓発本を真剣に読んでいる中年よりは、フランス書院文庫をカバーなしで読んでいる人の方が器のでかさを感じます。

帰宅時間、五〇歳ぐらいのおっちゃんサラリーマンが、「スケボー入門」的な本に見入っていたり、早朝、小学生くらいの制服の子がバッハの名曲『ブランデンブルク協奏曲第5番』の楽譜と向き合っていたり、真っ昼間、見るからにヤクザっぽいイカツい風貌のオヤジが「子育て本」を小脇に抱えていたり、終電のなか、和服の美女がドラッカーの『マネジメント』を熟読していたり、日中、「漢検」過去問集を解いているおばちゃんがいたり、皆さん格好いいです。

極め付きは、誰もが知っている名著を、改めて手にしてみるという方法もあります。『マクベス』や『若きウェルテルの悩み』や『ソクラテスの弁明』をわからないながらも持ち歩く。それだけで内面の知性を感じさせる効果があります。

アドバイスとしてひとつ。できれば新品ではなく、読み古した風情に仕立てておくと、「なかなか読みこなせないからずっと読んでいるんだよね」とか、「じいちゃんの書斎から借りてきて読んでいるんだけどさ」という、しびれる言い訳ができるので、なおいいでしょう。

グラスゴー大学留学中のことです。陽気のいい木漏れ日の陰で、樫の木にもたれながら本を読み、時々談笑しつつティータイムを過ごしていたラボ仲間が実に格好よかったな。スコットランドという異国の地で、草木のなかに浮かぶ横文字のペーパーバックを少しまぶしそうな表情で読む。緑と白とのコントラストによるその姿が素晴らしく映えていました。サリンジャーを読んでいたような記憶があり、いまでも脳裏に焼き付いています。

「オレ、いま本読んでて、イケてんじゃね!」みたいな勘違いをすることは悪いことではありませんし、実際には、これが読書のモチベーションとしては大切なのです。私は、心底そう思います。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『非読書家のための読書論』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。