文学女子への遠い憧れ

読書のきっかけとして、先にも述べたように「本を読んでいる自分はイケている」という部分があってもいいのではないかと思っています。高校時代にヘルマン・ヘッセを読んでいる風を装い、こともあろうか、その本を女子にプレゼントするというイタい行動を取ったというのは、まさにそういうことです。さらには、リルケの詩集なんてものも買ってみたことがあります。

その理由は、どこにでもあるような話で恐縮ですが、文学好きの女子に憧れたというものです。高校時代、地元の市立図書館でのことです。高校三年当時、お尻に火のついた私は、とりあえず放課後になると友だち何人かと図書館に寄って、(たいして成果は上がりませんでしたけれど)一〜二時間、受験勉強をしてから帰るということを日課としていました。

いつものようにダラダラと勉強していたところ、自習室の私の隣の席に、“前下がりボブ”の一人の女の子が座りました。近隣の女子高に通う、私と同じ受験生のようでした。自習室の席取りは、来館のたびに番号札を渡されることで、指定の席を与えられます。その子は参考書に交じって、小説を脇に置いて勉強をはじめたのでした。いまのようにパーテーションで仕切られたデスクではないので、様子が丸見えです。緊張して勉強どころではなくなりました。

以来、時々見かけるようになった、その落ち着いた仕草の子は、勉強の合間にカバーのかかった文庫本を読んでいました。月並みな感想ではありますが、その姿が、当時の自分にとっては、強烈に美しかったということです。理知的な佇まい……、そのエレガントで大人びた立ち振る舞いに、鼻を垂らしていた私が恋心以上の憧れを抱いたのは、火を見るより明らか、当然の成り行きでした。

友人に探りを入れさせた情報で、彼女の読んでいる小説は、漱石の『虞美人草』だということを知りました。すぐさま、漱石に加えてヘッセやリルケの本を、とりあえず手に入れるというのが、私にできるせめてもの背伸びでした。その子は後に、法政大学文学部に推薦入学したと風の便りで知りました―文学部への推薦希望だったので、受験シーズン中にもかかわらず小説を読んでいたのかもしれません。

そういう文学女子への憧れというのは、振り返ってみると中学時代にもありました。図書係女子への憧れです。肩まで伸ばした“姫カット”の、可愛いと思ったその子がたまたま図書係だったのか、それとも図書係だったからきれいに見えたのか、それははっきり覚えていませんが(おそらく両方)、いずれにせよ、貸し出し台帳に、その子の手によって自分の名前を刻んでもらうのが、ひとつの大きな喜びでした(読もうが読むまいが、シャーロックホームズシリーズを借りていました)。皆さんにも、このような思い出のひとつやふたつありますよね。