「あっ、ちゃうちゃう。隣の一戦が終わった後、辺りがしぃ~んとしてきてさぁ。今度は角部屋の方から聞こえてきたんですよ、啜り泣きが」

「で、泣き声の原因を究明しに行ったんですか」

「いや、すぐにテレビをつけて、ミニバーの酒を飲んだ」

「……」

「あの悲しげな啜り泣きはこの世のもんじゃなかったな。今度いつでもいいからさぁ、コンプでその五階の部屋出すから、マサ君泊まりに来てくんないかなぁ」

コンプとは〈コンプリメンタリー〉の略語で、無料という意味。丈と正嗣はその日が初対面であったが、一緒に食事し酒を飲んでいる内に、自然と「ジョーさん」、「マサ君」と呼び合うようになっていた。正嗣にとっては会社の大先輩の、そして丈にとっては父親の八若小佐衛門という共通の存在が間にあったからなのか、初対面から打ち解け合えたのだ。

「いえ、お金もらっても遠慮しときます」

「そんなこと言わないでさぁ、ピーちゃんと一緒でもいいからさぁ。ジョイナーズフィー(ホテルに宿泊の予約を入れていない女性の同伴料)もいらないからさぁ」としつこいくらいに勧めてくる。

「いい加減にしてくださいよ。それより、その角部屋はそのまんまなんですか。お祓いとかしないんですか。あっ、日本じゃないから、エクソシストに頼むとか」

「特に大きな問題にもなってないから、まだ何にもしてないな。嫌な客が来た時とかにアサインしちゃう。角部屋は普通の部屋の倍ぐらいの広さがあるから、スタンダードルームが一杯なのでデラックスルームにアップグレードしました、な~んて説明すると喜んでくれるんですよ」

「嫌な奴を金縛りに合わせるんですね」

「うん。チェックアウトの挨拶の時に、お部屋の方は問題ございませんでしたかと聞くと、あまり眠れなかったとか言ってるね」

「でも、その幽霊話って、ホントにホントですか」

「本当だよ。だから今度自分で試してみてって言ってるでしょ。あっ、そうだ。じゃあ、女の子を二人連れて四人で泊まらない。忘れられない夜になるんじゃない。気がついたら五人になってたりして」

「ホテルのスタッフにジョーさんが女を連れ込むところを見られたらヤバイでしょ」

「マサ君が二人同伴したことにするから大丈夫ですよ」

「もう、いい加減にしてくださいよ」

丈の話は真面目に聞いているといつの間にか肩透かしを食らっている。

「この近くに置屋があるんだけど遊んでいきません。百ペソで二回できる所があるんですけど」

「安いですね。日本円で二千円もしないんですか。興味ありますけど、明日工場視察の仕事があるし。今度連れてってください」

バカ話には切りがなかったが、翌日のツアーのアテンドのため食事後はすぐに帰宅した。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『サンパギータの残り香』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。