ホテルへの道がわかるかと聞かれた会話とどちらが前後していたのか、よく思い出せない。少し歩いてからだと思う。突然、目の前が暗くなりどうも身動きができない、身体が締め付けられているようで痛い、捩(よじ)るとよけいに痛い。今度は顎が痛い。動かそうとすると何かが顎に食い込んでよけいに痛い。

それから、彼が私にキスをしているとようやくわかった。彼の唇が重なっているのがわかると、急に私の力が抜けたのか、もう私の顎は痛くなくなった。

それと同時にキスは普通のキスではなくなり、深いものへと変わっていった。戸惑いながらも私はそれを受け入れる。彼が男女のつもりであることを、そのとき知る私だった。それはとても甘く、しかも上手だ。

意識がくらりとしたので、私はあわてて身体を離そうとしたが、そう簡単には離してくれなかった。気持ちを確かめられたようなことをされて、私は彼の胸を思い切ってたたいた。

「ねえねえ、あなたの名前を教えてくれない?」

名前なんてどうでもいいのかどうか知らないが、せめて名前ぐらい知っていても悪くはないだろう。

「Riyaade(リヤード)難しい名前だからあとで書いてあげる」

「りやぁど?」と聞くとそうだと言う。ふうん、フランス語じゃないな。イタリア人のそれでもない。わけのわからぬまま私は彼のあとをついてゆく。

それから、ポンヌフまで歩くも適当な店が見つからないと思った彼はホテルまで送る、ということにしたのかもしれなかった。地元なのに、何を迷っているのかさっぱりわからなかった。

初めてのキス秋の灯の遠慮がち

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『Red Vanilla』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。