一方で、受け取るからこそ、私たちは時に人に何かを与えたいと思うものです。

誰かに花を贈る時、どんな気持ちになるものでしょうか。相手に歓んでもらいたい、という純粋な気持ちから花を選び、心を込めて手渡すものです。

もしかすると、相手の反応が気になってドキドキしたり、恥ずかしさから隠れたくなったりすることもあるかもしれません。

私たちが本当に相手のことを思ってその思いを手渡す時、それを受け取ってくれる相手と同様に、いえ、時にそれ以上に、私たちは心が満たされたり、歓びを感じたりするものではないでしょうか。

与えること―。それは、誰かを無条件に愛するが故の衝動でもあり、それができた時、私たちは幸せや歓びを感じるものです。

親が子供を思う気持ちから日々していることは、与えることの連続でしょうが、そのことによって親としての歓びを感じるのは言うまでもありません。

また、仕事にやりがいを感じるのは、自分なりの貢献によって誰かに何かを手渡せたと感じた時ではないでしょうか。

与えることは、私たちが自分の存在価値を感じる瞬間と言っても過言ではありません。しかし、与えるということの本当の意味はこれだけに留まりません。

私たちは、日々無意識に与える存在で在り続けていることに気づく必要があります。謙虚を美徳とする文化からか、自分は誰にも何も与えられていない、と本気で思う人がいます。

しかし、何かをした、しないという軸から離れ、自分という「存在」が、生きる必然として「与える」存在であるという真実に気づく必要があります。

「居てくれる」だけで安心する、明るくなる、やる気になるなど、自分が気づかないうちに周りは価値を受け取っています。

更には、今生きているという事実は、未来に命をつなぐ貢献をしている証なのです。与えることは、周囲に貢献しようとする、私たちがもつ愛情深い男性性の現れと言えます。

あなたは、与えるものを無限に携えた贈り物です。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『ツイン・エネルギー™ 静と動のバランスを整える16の考え方』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。