九号は

大学病院へ定期検診に行ったときのことである。診察が済み、駅ビル三階の薬局で薬をもらい、改札に通じる二階に下りたら、婦人服のバーゲンをしていた。五千円のパンツが目に入った。安い! 色が黒とかグレーとかではなく、モスグリーンぽい色で私の持っていない色である。買おうかな。

「どうして安いの?」

「九号と十五号しかないので整理価格です」

思わず九号を手に取った。普段は十一号か十三号である。同年代と思える店員が私を見て言った。

「これは九号でも細目にできているので、皆さん入らなくて」

でもプールに通い、少しは痩せたのである。

「穿いてみてもいい?」

「あっ、どうぞ」

入ったのだ。信じられないくらいやすやすと。鏡に映る自分を眺めた。十一、十三号の姿を見慣れている目には、自分で言うのもなんだけれど、スラッとしていてカッコいい。裾上げ寸法を測ってもらい、レジへ持って行った。さっきの店員が、

「入ったんですか?」

と、大きな声をあげた。失礼ね、私は客よ、と思ったけれど、「ええ、入ったからいただくわ」と、鷹揚に笑って答えた。

裾上げを依頼し、一週間後受け取りに行った。でき上がりを確認するために試着室に入った。パンツは入らない。ウエストが留まらない。必死にお腹を引っ込めるとウエストは留まっても、今度はファスナーが上がらない。パンツはクローゼットに放り込んだままだ。

なんであのとき穿けたのだろう。お腹が空きすぎていたからだろうか? 朝食を軽く済ませて朝早く家を出たのだ。あのあとに、遅いランチをとった。悔しい。お金の問題ではない。あの鏡に映ったスラッとした自分が、やっぱり幻だったことが悔しいのである。

そして七十歳になろうというのに、カッコばかり追っかけて、店員さんに勝った気分になった自分も情けない。九号は買わない。肝に銘じた。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『午後の揺り椅子』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。