ベルリン遷都が決まって、この都市はこれから建設の時を迎える。現状では交通機関一つとっても西側には高速道路あり、東側には昔ながらの市電が走る。国電に当たるSバーンは全部ディーゼル車で未電化、また都心部はUバーン(地下鉄)が未発達で、空港など要所毎の連絡が誠に不便である。東西分断の傷あとといえる。

統一のコストとして東ドイツの生活水準を西独なみに高めるのに、十年で二兆三〇〇〇億マルクかかり、例えば連邦議会の建築費だけでも二〇〇億マルクを要するという。大統領官邸や官庁街も建てるとすると大変な建築ブームが起きそうで、不況下の日本としてはうらやましいような話だが、逆にこれらの費用をもう既に日本が負担し始めているという説もあり、これでは日本の不況に拍車をかけていることを重視すべきだ。

現在、繁華街のクーダムの地価が坪三〇万円(マルク六〇円として)どまりだが、この値段が本当ではないかと狂乱地価の中の我々は思う。元来、森に覆われていた低地ドイツ、特にエルベ川以東は古代ローマ帝国の区域外である。ローマ人が優れていたのは、かれらの持つ「開放性」で、征服した他民族を次々に同化していった(塩野七生『ローマ人の物語』)。

この低地ドイツ地方はローマ文化の外であった。このことはいまだにドイツ人の誇りに影を落としている。こんな土壌で、プロテスタントが普及しやすかったので、その結果、一七世紀の三十年戦争の惨禍で多くのドイツ人が犠牲になった。明治の岩倉使節団の手記にも、早くもその傾向を見破り、ベルリンの人心は粗雑であると観察している。

余談になるが昔ローマ帝国に入っていなかったデンマークがマーストリヒト条約をいったん拒否したのもわかるような気がする。歴史的対立からEC統合も難航する気配がある。しかし、現在のベルリン市民は緑と水に恵まれた環境のもと、統一の喜びに誠に幸福そうであった。この幸福にも問題があることを次の機会に述べる。私たちは四日目の朝、テーゲル空港を発って、次の目的地ミュンヘンに向かった。