オイルショックを切り抜けた現場力

ここで「徹底した省エネ」をどう進めれば良いのか、筆者の専門分野である省エネルギー・エネルギー効率化に関する話題へと展開していきます。ここでもデジタル化の遅れによる生産性の停滞と同様に、企業経営者が発想のパラダイム転換をしていただきたいデジタル化の推進に絡んだ重要なテーマがいくつかありますので、そのあたりへ論を進めて参ります。

筆者が省エネルギー・エネルギー効率化と関わり始めたのは、1990年代の半ばでした。米国における電力自由化の視察・調査に行った折に、エネルギーサービス会社(ESCO:Energy Service Company)という事業体に出合い、その面白さにすっかり魅了されて帰国したのが1995年でした。

省エネルギー・エネルギー効率化をビジネスとして推進すること。それもファイナンスを絡めて、初期投資ゼロにより省エネルギー・エネルギー効率化で生じたコストダウン分を顧客と事業者で分け合うシェアード・セイビングス(Shared Savings)というESCOビジネスと出合ったことが、その後の私の人生を変えたと言っても過言ではありません。

帰国後、早速事業立ち上げの企画書を作成し、事業化検討コンソーシアムの設立を目指していろいろな企業を回ったものです。その間によく言われた言葉が、「日本は、これまでに省エネルギーを徹底して行っているので、その削減に期待したESCOモデルは難しいと思うよ」というものでした。いわゆる「絞り切った雑巾論」を初めて耳にしたのは、この頃でした。

確かに、1970年の初頭に始まり、その後の10年間に日本が被ったオイルショックは、大変大きなインパクトがあったようで、特に、当時の日本の産業界を背負っていた鉄鋼、化学、セメントなどの重厚長大産業の諸先輩達は、生き残りをかけた必死の省エネルギー・エネルギー効率化の努力をしてきたようです。

この1970年代の10年間を現場で闘い結果を残してきた30代から40代までの若手技術者陣は、その後の20年間である20世紀末までにおいて省エネルギー・エネルギー効率化の貴重な経験者、プロフェッショナルとして企業内においては一目置かれる立場であったことでしょう。確かにこの現場の人材力は日本企業の底力を支えてきました。

ただ残念なのは、こうした有能な経験者たちは、その後の所属企業が受けることになったグローバル競争によって、業界再編や事業縮小などを余儀なくされ、結果として関連のエンジニアリング子会社などへの転籍で、必ずしもそれまで得た臨床の知としての経験値を、高いモチベーションを維持しつつ、新しいイノベーションにつなげるような好待遇・機会には恵まれなかったことです。

一方、この諸先輩方々の努力によって、1980年から1990年代の産業界の工場群はまさに「絞り切った雑巾」状態であったことは間違いなく、日本が「省エネルギー先進国」という名をほしいままにすることができたということも事実でした。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『データドリブン脱炭素経営』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。