ウォレンが重視したのは、医療ケアにおけるチーム体制です。看護師、理学療法士、作業療法士、言語療法士、社会福祉士などの協力体制が必要になります。不足しているところはウォレンが自ら教育して補いました。

患者の持つ潜在性の能力を最大限に引き出してそれを活用し、障害とされている機能を最低限として自立を促すことが、個々の患者に即したリハビリテーションの目標であるとし、「患者が自分でできることには、一切手出しをするな」、これが鉄則でした。

その成果は驚くべきものでした。患者は元気づけられ自立に自信を持ったのです。退院患者が続出しました。

こうして病床数は240にまで減少し、余った病床は皮膚科や結核療養病棟にまわされました。退院率は以前の3倍となり、25%に達したのです。

多くの医療者が見学に訪れ、高齢障害者に対するウォレンのやり方を学びました。ウォレンは「老年内科医は常に、全人的医療を心掛けるべきである。病気を治すのではなく、病人を癒すのである。したがって老年内科医は、広い領域にわたって研修を受けた医師でなければならない。総合病院では老年科を専門科としておく必要がある。それは他の診療科と連携して診断と治療の実績を上げることができる。また医療ケアの継続を図るため在宅医療を重視し、地域医療との連携をとることが大事である」。

ウォレンは自分の考えを広く知ってもらうために、積極的に講演などの啓発運動を起こしました。米国、カナダ、オーストラリアなどには、ウォレンに賛同するものが少なくありませんでした。こうして1947年、「英国老年医学会」が設立されました。それははじめは「老年者ケア医学会」という名称でした。

ウォレンは1960年、不幸にして交通事故に遭い、62歳で亡くなりました。ウォレンの実績は大きく、英国老年医学の母といわれています。それはあくまで地域に根差したチーム医療が基盤にあります。

一方我が国の老年医学は、東京大学をはじめとする権威のもとに発展してきました。そこには老人の病気を主たる対象として、地域住民の福祉・ケア・介護という理念に欠けていたと思っています。だが急速な高齢人口の増加に伴って、介護保険の導入に迫られました。どの家庭でも養護老人や認知症の介護という切実な課題が出てきたのです。

ウォレンという先覚者の開いた老年医療ケアに学ぶことはまことに大きいと思っています。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『健康長寿の道を歩んで』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。