英国老年医学の母 マージョリ・ウォレン(Marjory Warren)

マージョリ・ウォレンは、老年医療とケアの母といわれる医師です。ウォレンの業績を知ることは、老年医療の本質を知ることになるのでここに紹介いたします。

ウォレンは1897年のロンドン生まれで、父親は英国紳士の弁護士、母親は教育熱心な思慮深い女性でした。ウォレンは、5人姉妹の長女でした。

1923年に医科大学を卒業して医師の資格を取り、外科医として公立西ミドルセックス病院に勤務しました。女性の外科医は当時は少なかったのですが、4,000例もの手術を行って実績を上げ病院長代行にまで昇進しました。

しかし転機は1935年、ウォレンが38歳の時に訪れました。この年、近郊に714床の障害を持った慢性疾患患者収容の病棟が併設され、ウォレンがその責任者に指名されたのです。入院患者の多くが老人で貧しく不治のレッテルを貼られ、社会から見放されていました。

一般に老人医療は、貧しい身寄りのない老人が、はじめは対象となっています。尼子富士郎(日本老年医学のパイオニア)が勤務した浴風会病院でも、患者は20床くらいの大部屋に入れられ、性の区別なく、男性と女性の病床が交互に並べられていました。患者がベッドから落ちて骨折を起こすと寝たきりになり、オムツをあてがわれ、肺炎で亡くなるというのがお決まりのコースでした。亡くなると剖検になり、担当医の記録と病理所見が対比され、討議することから老化と老年病についての知識が得られたのです。しかしこれは、医師中心の診療であり、患者にとっては何のメリットもありませんでした。人権は無視されて、良くなって退院する患者も稀でした。全病床数は、200床くらいであったかと思います。

ウォレンが責任者として担当した病棟は700床ですから、浴風会に比べてもかなり大きかったと思います。医師も少なく指導者もおらず、ウォレンには何の期待もされなかったことでしょう。

ところがウォレンはここで老人医療にとって画期的な仕事をしたのです。彼女の目標は患者に生きる希望を与え、自立を促すことにありました。「楽観と希望」がウォレンのモットーでした。

患者を1人1人診察し、若年者と比較的健康なものは他に移しました。残るものの多くは脳卒中後遺症か下肢切断患者でした。これらに対してまず生活の機能評価を行い、次の5群に分けました。

①比較的障害が軽いもの(離床可能)、②失禁はないが、寝たきりのもの、③失禁があるもの、④錯乱状態にあるが、他に迷惑をかけないもの、⑤認知症患者(他の患者と分離)。

これは病気による分類ではなく、障害評価による分類です。

ウォレンは、まず居住環境を整備しました。病室の壁は明るいクリーム色に塗り替えられ、カーテンやシェードもすべて明るい色に統一されました。階段や廊下には手すりのレールを付け、照明を明るくし、ドアも把手のついたものからスイングドアに替えました。ベッドは低くして卓上テーブルとラジオ用のイヤホーンを設置しました。毛布やベッドカバーなどは魅力的な色合いとし、各患者には専用のロッカーを与えました。各種歩行器、車椅子など、さまざまなリハビリテーション用の機器を開発して利用させました。