双頭の鷲は啼いたか

バイク事故から一週間が過ぎて、武史は頭部のMRIをはじめとする検査を受けた。固定されていた脚のギプスもはずされて、車イスでの移動を許可された。

武史はこの事故がなければアメリカへ研修に出ることになっていた。研修中のインターンとはいえ、武史は鴻池グループの御曹司だ。自分が望まなくても、父親の病院長が将来の事を考えて若いうちにたとえ半年でもアメリカで放射線科のスペシャリストとしての勉強をさせるつもりだった。同期の中で羨望の目がないわけではない。だが、私立の病院で優秀な息子ならば誰も不満を口にすることはできなかった。同じ立場の医師ではないと他の者は分かっていただろうから。

そのことを武史はいいとも悪いとも思っていなかった。その分ラッキーな事でも何でもない。遊びに行くわけではない、それだけの成果を吸収して自分が更に高みの医療技術を確実に身に着けることは安易な事ではないと分かっているからだ。画像判断はAIがほとんどしてしまうが、本当にその術式でいいのか、最後は人間が判断しオペをするのである。放射線科の医師がまだまだ少なかったし、それ以外に外科手術もこなせるだけの医師が多いわけではなかった。誰もそんなハードワークをしたがるはずもない。武史は母のように発見が遅れて落命する人を助けたかった。

幼い自分の心が痛んだように、救える命を無駄にしたくなかったからだ。

武史は父親が自分たちのことを調べて血縁のない親子だと確信を得ていることは知らないだろうと思っていた。事実そうだった。そんなことは武史にはどうでもよいことだった。この病院のグループを全部引き継ぐのは自分だと信じて疑わなかった。

父は仕事が忙しく家を空けがちだったが、母はピアノや英語などを教えてくれた。そんな思い出の中の優しくて美しい母親が、実の親でなかったと知った時はさすがに荒れた。母が亡くなったのは小学校入学とほぼ同時期だったけれど、母親はあの人だと信じたかったし、そうであってほしかった。四回生の時に友人の広瀬にDNA鑑定を頼んだ。結果、両親の遺伝子は持っていなかった。

辛さと、仕事のきつさから一刻大麻に手を出したこともあった。しかし武史はもしも警察沙汰になり、すべてを失ったらと事の重大さに気がつき、三回くらいでやめた。それは武史のIQが許さなかった。だが、いまだにクスリに逃げたいという誘惑はついて回った。医学生としてあってはならない事、だが自分の不信を払拭するはずが、決定的な人格否定を自分がしたのだ。後悔はしていない、だが漆黒の怒りが滓のように武史の心に魔が巣くった。