本を読んでいるという優越感だけ

読書の理由のひとつは、知識や教養を得るためで、もちろんそうした効用のために本を読むという姿勢になんら邪推はありません。

がしかし、その知識や教養は、自分のためでしょうか。本当に自分の暮らしを豊かにするためだけの、あくまで内因性の理由だけでしょうか。

本書の冒頭「はじめに」で、私は、「”本好きであると思い込んでいる己の自尊心”を理由に本を読んでいる」と伝えました。

”自尊心”などと言うと格好いいですが、要は、

「読書家を自称するなら、これくらいのことは知っておかないと」という見栄です。

”優越感”です。はっきり言うなら、

「本を読んでいるオレって格好よくねぇ!」

という自惚うぬぼれです。

私には、読書によって得られる己の虚栄心のようなものが明らかにあります。

いや、少し違いますね。読書好きな人への憧れからくる、”自分も憧れてもらいたい感”です。

今回は、そのあたりも正直に語っておきたいと思います。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『非読書家のための読書論』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。