そんなある日、薬と言えば、百薬の長しか知らなかった我々は、ウイスキーの瓶を携えて、湯原の湯治場に赴いた。彼は私の差し出した瓶の酒をラッパ飲みすると、虚ろな顔をしていたが、と、湯の中に滑り込み、沈んだまま浮かんでこなかった。
慌てて湯を掻きわけて彼を捜し出し、救急車を呼んで病院に運んだ。医者は私が彼の病気について説明すると、さも呆れたというように御手あげの仕草をした。
Kはベッドの上で意識を取り戻し、虚ろな顔で医者の話を聞いていたが、ふと医者を罵り出すと、点滴の針を抜いて、病室から飛び出していった。
そんなことがあってから、腹水で膨らんだ腹を抱えて、憂いに沈むKの顔に死の翳が兆した。顔が土色になり、肌もザラザラになっていた。それによろけてよく転んだ。
それでも恐ろしい勢いで酒を飲み、ついには私の顔も識別できないほどに意識を濁らせ、焦点の定まらない眼差しで、虚空を見つめていた。
道ですれ違っても、気づいて呉れないことが、二、三度続いたあと、彼の家の庭の築山に、Kの車が乗り上げて、斜めに傾いたまま放置されていた。
閉めきられた彼の家は、不気味な沈黙に包まれたまま、時間だけが過ぎていった。
四日目の朝、末の娘が廊下のガラス戸を開けて伸びをした。何かが終わったという感じだった。
それから家中の戸が開け放たれ、葬式の出入りが始まって、Kが死んだことがわかった。
※本記事は、2021年8月刊行の書籍『 追憶 ~あるアル中患者の手記~』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。