葬儀と通夜の日取りについては、早らかに電話で通知があったが、その電話を受けてから一日置いて郵便の書信で葬儀につき詳細を知らされた。

斎場の場所、さらには、火葬が執り行われるおおよその時間帯までもが書き添えられていた。

通夜には顔を出さず本葬に行くだけにすると決め、葬儀場で手早く焼香を済ませ、残された遺族の人たちや会葬者とは言葉を交えることになる前に、立ち去る予定を立てた。

ところがいざ葬儀の日になり会場に向かってみると、途中で迷いの気持ちが出てきた。会場となっている寺の門前まで通じている道の途中で躊躇してしまう。足が前へ進もうとしない。

一直線に伸びた道路の途中までは何とか歩んで行けたが、境内の中がおおよそ見通せたのがかえって彼にとっては気持ちを迷わせる原因になったのかもしれない。

すでに門の脇に立てかけてある大きな一枚板に「二宮百合」と「告別式」という大書の文字が識別された時点でひるんでしまった。

これから始まるだろう死者を弔う儀式に参加せねばならないと考えるだけで、気持ちが萎縮してしまう。

さらには、本堂わきの境内の端で会葬者の受付が行われている様子まで見えてしまった。

結局来栖はその他大勢の会葬者の一人としてさえも境内に入っていかず、立ち留まったままの所から少し寺に近づいた所で脇道を見つけ、そのまま立ち去ってしまった。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『ミレニアムの黄昏』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。