昨日、病院の帰りに掃除をしている女性に「こんばんは」と、声をかけた。「早くおしまいくださいね」と。女性も微笑んで「お疲れ様。お気をつけて」と、挨拶を返してくれた。何だか現役に戻ったような懐かしい思いに私の方が癒された。

『今朝は買い物に出た時に一台のバスの右折を助けただけ。でもバスだから、後ろには一杯、車がつかえていたんだよ』

私にできることが他にないだろうかと、当てもなく考えていた。京子が喜んで、心から微笑んでくれるいい手が見つからない。そんなに、ゴロゴロと転がっていて、すぐに見つかるのであれば、逆に気持ちが悪い世の中になるかもしれない。だから、京子だけの笑いで、しかも奥ゆかしい微笑みが出る程度の話でいい。それが続いていけば、どれだけ救われるだろうかとの思いで小さな癒しを探してみたが、なかなか見つからなかった。

G20で日本に各国のトップが集まるらしい。日米の貿易摩擦問題も話題にあがるだろう。難病の薬開発には程遠い議題だった。

『コンビニの弁当を手に取ると「米国産」と書かれていた。ついに、ここまで、アメリカは実力行使してきたか、と思ったら、「こめ、国産」であった』

新聞に載っていた投稿文だ。この弁当を世界中の首脳に食べてもらって、元気になって帰っていただこう。「感謝返し」の話は私と京子との間で密かな癒しにはなったが、一回の微笑みで長くは続かないと思った。他に「うまい手を探す」と言って大見得を切ったが、何も浮かばなかった。

そんな日が続いていたので、自宅の部屋から抜け出して、気晴らしに外に出た。木陰でアルが気持ちよく眠っている姿が目に入った。忍び足で近づくと、一度だけ薄く目を開けて私を確認すると、また眠りこけた。

『よし、よし』芝生の上を歩いて、なおも近づいて横に座り込み、砂粒を一つ拾い上げて鼻の穴に入れてやった。「ふんふがぁ」と鼻水と一緒に、とんだ迷惑だと言わんばかりに顔に吹きかけられてしまった。感謝返しの話にしても、マンネリ化して、完全に行き詰まりを見せていた。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『ALS―天国への寄り道―』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。