ハサミを掃除しよう。カウンターの引き出しからドライバーを取り出し、ハサミの中央の留め具を外して二つに分解した。一つを手に取り、留め具の穴周辺をセーム革で拭うと、〇・五ミリほどの極小の黒い髪粉がでてきた。もう片側も同様に髪粉を拭い刃先まで磨く。油をさし、二つを兼ね合わせて留め具をドライバーで締めてハサミに戻した。

カチカチ、カチカチ、カチカチ

切れのいいスムーズな音が店に響き渡る。掃除をした後のハサミの美しさといったら。またいい仕事をしてくれること間違いなしだ。ずいぶん前に彼女とした会話を想いだす。

「このハサミ、なんだか短いね?」

「刃物だからね。研いでいるうちに短くなるんだよ。もうこいつは十年使っているから」

「十年? そんなに長く使うの?」

「うん、まだまだ現役でいけるよ。俺の師匠は二十年ものを使ってるよ」

「へえー、すごいなあ」

初めてのハサミは専門学校の卒業式のお祝い品だった。卒業してすぐに就職した美容室のオーナーはカリスマで、信者のように慕う人々の予約が絶えず、気が付くといつも閉店時間になっているほど人気だった。そのオーナーのカットを見よう見まねで習得しようと、給料の大半を費やして同じものを買い揃えた。その人は同じハサミをいくつも持ち、変わらぬスタイルを貫いていた。

次に転職した店のオーナーは真逆だった。色んな種類を揃えて時々でハサミを変える、クリエイティブに新しいスタイルを追求するタイプだった。ここでも技術を真似しようと同じものを購入した。そして独立。自分のスタイルができて、自分が納得するものを選んだ。ハサミは生涯をともにするものといっていい。そのために同伴してくれる心強いサポーターがいる。たった一本の不具合でも電話すると駆け付けるハサミ屋だ――見るからに重そうなシルバーのキャリーバッグを下げてあらわれる。

「この程度なら、油をさしておけば問題ないです」

診断すると、キャリーバッグから修理道具を取り出し、ハサミ屋は必要な処置をしてくれた。その程度のことでは一切御代を請求しなかった。修理で持ち帰る時は、バッグの中から代替用のハサミを2、3本置いていった。修理が終われば、その一本を届けに店に来た。宅配便でハサミを返送したり、新しいものを買うよう勧めたりすることもない、商売じみたところが微塵もなかった。

彼はいつもダブルのジャケットにネクタイでびっしりときめている。その仕事っぷりは職人さながらモノを大事にする人だ。華やかにみられる美容業界は、こんな真心を込めた職人たちに支えられている。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『絆の海』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。