カメムシおばさん

カメムシが網戸の内側にじっとしていたので

網戸を少し開けて

サッシとの隙間から逃げられるようにしたつもりが

どうやら彼はそこでこと切れたらしい

無情を責められているようで

彼のことはそのまま忘れることにした

けれども彼の一族は

私を許さなかった

洗濯物を取り込むと

どこからともなく

カメムシの臭いがする

草いきれを濃縮したような

鼻の粘膜にいつまでも残る臭い

案の定

袖やズボンやポケットの中にいた

ゴム手袋で捕まえてレジ袋に放り込む

五、六匹捕獲した

こけつまろびつお互いの上によじ登りなどしながら

レジ袋から出てきそうになるので

袋の口を急いで結ぼうとしたら

やにわに一匹飛び出して首に留まったので

やたらめったらわめいて払いのける

するとどこかにいなくなった

それをまた青くなって部屋中探す

ようやく見つけてホッとするが

衣類を仕舞った引き出しが臭う

総毛立つ思いで全部引っ張り出すと

奥の角に二匹身を寄せ合っているので

ゴム手袋を取りに走る

次の週末

溜まったものを放り込んで洗濯機を回して

さあ干そうと思って洗濯機を開けると

またもや臭う

ギョッとして洗濯物を取り出すと

洗濯機の底に十匹近くも仰向けになっている

彼らも一緒に洗濯したのだ

血の気の引くような思いで

死骸を回収する

ホチキスの芯ほどの脚も散乱しているので

セロハンテープにくっつけて取る

それからきれいに洗濯機のドラムを拭き

もう一度洗濯物を洗い直し

それでも心配でさらにもう一度洗ってから干す

そして取り込むと

やはり臭う

それは潜んでいる彼らの臭いではなく

溺れ死んだ彼らの無言の叫びがしみついているのだ

泣く泣く取り込んだものをすべてゴミ袋行きにした

彼らの報復は執拗で容赦がない

隣の草ぼうぼうの空き地から際限なく飛来する

しかし

彼らにとってみれば

私の方こそ鬼のように非情なものに違いない

やがて網戸でこと切れたカメムシは干からびて朽ちてサンの間に落ちた

せめて彼の供養をすれば許されるか

もう何匹殺したかわからない

そんなことで済むわけがないとも思うが

彼の遺骸を拾って隣の空き地に埋めて成仏を願った

そして捕獲しても隣町の公園の植え込みの根元に放すことにした

すると

不審者として通報されて

交番でくどくどと小言を言われた

これもカメムシの罰かと思って黙って聞いていたが

あんまり小言が長いので

その髭の剃り跡の青いお巡りにふと

カメムシの臭いを嗅いだことがあるかと聞いたら

ないと言うので

持っていたレジ袋の口を開けたら

わらわらと出てきた

髭の剃り跡の青いお巡りは飛び上がるほど驚いて

驚いた拍子にカメムシを踏みつぶしてしまい

たちまちひどい臭いが立ち込めた

その分小言は増量されたようで

なかなか帰してもらえずげんなりしたが

しかしその時のお巡りの驚愕と

それに続く嫌悪の表情が

私には大変新鮮に

好ましく思えて

もっと多くの人に

カメムシの臭いを嗅いでもらいたい思いにかられた

そこで封筒を買ってきて

捕獲しておいたカメムシをそれに入れて

丁寧に封筒の口を糊付けし

いくつか針で空気穴を開け

それから

これはと思う家に

ポスティングすることを始めた

数が足りなくなり

隣の草ぼうぼうの空き地に出向いて採集し

ポスティングに励んだ

封筒の中で

カサコソと音を立てるカメムシを

初めて可愛らしいように思い

また初めてカメムシの臭いを嗅ぐ人々の様子を想像し

しばらく心楽しい日々を過ごした

しかしある日

リストラにあって

明日から仕事がない

ということになった

足元がスースーした

明日からなにをしよう

しかし私は思い出した

大丈夫

仕事ならある

それからさらにポスティングに精を出した

するとまたある日チャイムが鳴って

連行するという

けれどもそのとき封入作業の最中で

テーブルの上の封筒はカサコソ言っている

そのまま家を出る訳にはいかない

私はテーブルに駆け戻り

封筒の束を抱え

ベランダから飛んだ

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『苦楽園詩集「福笑い」』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。