しかし、祖父の願いも予感も空しく外れてしまった。私は母から奪うだけ奪って、母を(かえり)みることもなく、不幸の中に死なせてしまった。何と大きな犠牲を払わせたことだろう。何と思い()ることのなかったことだろう。そしてすべてが過ぎ去って、どうしようもなくなってから、それを悔いるしかなかった。

どうしてこんなことになってしまったのか。それにしても私は優しい子のはずだった。ラジオから流れるアンクル・トムズ・ケビンの放送が悲しくて、家の外に出て泣いた。私が通った教会のシスターは私を女の子よりも優しいと言った。無論、私が優しいとしたら、それは母の優しさだった。私の身も心ももともとは母のものだった。

私はそんな母の中から巣立とうとして身をもがき、母をあとにして一人羽ばたいてきた。そして、いつしか三十余年の歳月を過ぎ越していた。それは私自身が不幸になることによって、親不孝のかぎりを尽くすことだった。

しかし、そんな私の身勝手な人生も終わりに近づいていた。自分の死を予感するようになって、私はしきりに自分の原点、母の中に帰ろうとする衝動に()られるようになっていた。風雪の荒野をさ迷う少し前、私は姉に頼んで母の骨を手に入れようとしたことがあった。母の骨を抱いて死んだなら、また母の中に眠り込めるように思ったのだ。無論、そんな私の願いはかなうはずもなかった。――母の骨は、姉の教会の納骨堂に父の骨と一緒に眠っている――それもいいだろう。私が死んだなら、どの道、その納骨堂に(おさ)まるのだ。母は「今は生きろ」と言っていたのだろう。

アルコール中毒で病み衰えて、死線をさ迷った私は、自らの死への関わりによって、永遠へと回し向けられ、浄化されていくように思われた。それが悲しみを優しさに転化(てんか)していった母の生き方でもあったろう。

私は、今、この時、この場所で、他ならぬ私が生きてきた人生を、より本源的なところから(とら)え直し、生き直すことが、自分に残されたなすべきことであり、またそれが自分の犯した罪の(つぐな)いでも、失われた人生の取り戻しでもあると思うのだ。